ホーム › 地域創造ネットワーク・ジャパンとは › 設立総会【報告】

地域創造ネットワーク・ジャパンのNPO法人設立総会には、381人もの多くの人々の参加がありました。その後、総会に参加できなかった多くの方々から、総会の内容についての問い合わせが続いています。また、地域創造ネットのあり方についての紹介も続いています。
そこで、総会の速記録を掲載します。総会の議案とあわせてお読みください。(地域創造ネット・事務局)
大変大きな課題を背負いながら私達の活動も出発したと考えています。これから各地域においてそれぞれの地域組織を立ちあげることになりますが、今日の議論を地域に持ち帰っていただいて、それを反映させていただき、私達の運動を出発したいと思っています。そういうわけで僅かな時間ではありますが、最後までのご協力をお願いします。
最初に、この間の準備を6つの団体が世話役団体となって進めてまいりましたけれども、代表して市民協の米山代表からご挨拶をいただきたいと思います。
ただいまご紹介いただきました、市民福祉団体全国協議会の米山です。よろしくお願い致します。本日は、北は北海道から南は沖縄まで全国から地域創造ネットワーク・ジャパンの設立総会に駆けつけていただき、まことに有難うございます。まず、呼びかけ団体のご紹介をさせていただきたいと思います。NPO法人NPO事業サポートセンター、NPO法人神奈川ワーカーズコレクティブ連合会、財団法人さわやか福祉財団、NPO法人市民福祉団体全国協議会、NPO法人ニッポン・アクティブライフ・クラブ、社団法人長寿社会文化協会、以上の6団体でございます。
実は昨年の4月13日にそれぞれの団体の代表、並びに事務局責任者が集まり、最初の打ち合わせを行いました。そこで団塊の世代の「2007年問題」を間近に控え、NPOや市民団体がお互いに力を取り合い、市民の自発的な動きを大きなものにしなければならない旨の合意に達したわけです。それから1年の間、各方面からの検討、関係団体との話し合いを重ね、本日設立総会を迎えるに至りました。
そして呼びかけ団体の予想を遥かに上回る大きな反響をいただいており、私達一同胸の熱くなる思いです。本日は皆さんと一緒にスタートして大きな力を合わせ、助け合いのある福祉社会、コミュニティーを作るために呼びかけ団体はいっそうの努力を重ねてまいる所存でございます。どうぞよろしくお願いいたします。又本日は皆様の積極的なご参加により、良いスタートになりますように頑張りたいと思います。以上です。
ありがとうございました。続きまして本日の設立総会の主催者を代表して小川さんからご挨拶をいただきます。
皆さんこんにちは。地域創造ネットワーク・ジャパンの設立総会に大勢集まっていただき、本当に有難うございます。短い時間でしたのでこんなに大勢集まっていただけるとは思っていませんでした。
さて、私達は日本の超高齢社会をつくる団塊世代をどのように捉えたらいいのでしょうか。お荷物と捉えるのか、時代の主役と捉えるのか。チャンスなのかピンチなのかという感じです。しかし団塊の世代の問題は団塊の世代の人達の問題ではなくて、私達これから21世紀、少子高齢社会を生きる一人ひとりの日本人の問題だと考えています。そういう意味でこの地域創造ネットワーク・ジャパンは具体的な活動を起こそうと、もう能書きを垂れるのはいい加減にして活動を起こしていこうということで、その拠点作りにいよいよ取り組むことになりました。今日の総会で是非皆さんが賛同して下さり、参加してくださることを切に切に願って、主催者側の挨拶とさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。それではただいまから総会の議事に入りたいと思いますが、本日の総会の議長には私達であらかじめお願いしている方がございますので、ご提案申し上げましてご賛同いただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。議長にはNALCの代表であります高畑さんにお願いしたいと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
私どもNALCが全国の団塊の世代約4000人余りの人達を対象として、定年後どういう生活をしていくのか、どういう意識を持って第二の人生を送っていくのかというようなことを調査致しました。結果を要約しますと、既に定年を迎えている方と比べて、年金に対する不安が大きくあります。従って老後の生活不安を大変強く持っておられ、尚、働きたいという考えが一番大きいですね。しかしその働き方は、単に定年延長線上ではなく自分を活かして主体的、マイペース、しかもフルタイムではなく働きたい、こういう意識が非常に大きく出ております。同時に働くだけではなく、1つは地域でボランティアやNPO等に参加したい、もう1つは自分の妻と一緒に旅行を楽しんだり、趣味等を活かしていきたい、という三位一体で定年後を有意義にしていくという非常にすばらしい調査結果が出ております。要はこれをどのようにそれぞれの地域でどのように迎えるか、従来企業のパワーであったこの人材を地域でいかに迎え活用するかということが、超高齢社会入っていく日本にとって最も大切な課題であると思っております。
本日これから設立いたします地域創造ネットワーク・ジャパンはこれを最大の課題としてそれぞれの地域でしっかりとしたネットワークを作り、ある意味では仕事も、或いは福祉に対するいわゆるインフォーマルな社会資源としてボランティア労力を大きく形成して行くということを考えたいということで作られたわけです。そういう非常に意義のある地域創造ネットワーク・ジャパンの設立総会の議長に選ばれたことを光栄なことと思っておりまして、是非立派な設立総会にしていただけますよう、皆様のご協力をお願い申し上げます。
それでは議事に入る前に本日の出席状況ですが、設立呼びかけ団体は6団体いずれも参加しておりますが、呼びかけ賛同団体41団体中、25団体の参加をみております。それ以外、非常に関心を持ってオブザーバーという形で参加されておられる方が220名、今日は超満員の参加でありますことをご報告申し上げます。尚、本日の議事録署名人を指名したいと存じますが、さわやか福祉財団の和久井さんと市民協の中島さんに議事録署名人をお願いいたします。それから書記には長寿社会文化協会の水野嘉女さんとNPO事業サポートセンターの山根真知子さん、このお二方に書記をお願い申し上げます。
それでは只今から議事に入らせていただきます。お手元に既に設立総会の議案書が届いていると存じますのでそれをご参照いただいて、まず第一号議案から第四号議案まで用意しておりますが、それぞれ関連がございますし設立総会ですから一括してご提案を申し上げ、皆さん方も審議に賛同をお願いしたいと思います。
提案者は社団法人長寿社会文化協会の常務理事、田中尚輝さんにお願い致します。
一括してご提案致します。文章に書いてあることは読んでいただいて、背景や中身の件を設立準備会に携わったものとしてご報告申し上げたいと思います。この企画というのは、実務的には米山さんのお話にもありましたように昨年の4月13日からのことであります。ただ話題としては10年位前からあがっておりまして、色々なシニアの団体が全国で頑張っておりまして、大変勢い良くしっかりした活動をされている中で「いつか全体のネットワークをつくりたいね」と言っていたわけです。そうしてことを背景にしながら、呼びかけ団体の6団体も出発のときから考えるとそれぞれ大きく成長し、また、それぞれの特徴を持つようになり、発展して参りました。
ことにNPO法が1998年に成立します。1995年の阪神淡路大震災を経て大きく日本の市民活動、ボランティア活動、NPOの活動というのは発展してきていることは皆様ご存知の通りであります。今日会場には全国各地からそういう活動の主役の方々がおみえになっています。そういった流れがどんどん進行しています。他方日本の高齢化社会についての指摘は随分前からされていますが、いわゆる「2007年問題」という問題が刻々と差し迫っており、いよいよ来年になるに至りました。
高齢社会を見る時に、小川泰子さんが言われましたように2つの面からの見方があります。1つは暗くて重い時代と読み取るのか、それとも団塊の世代を中心にして新しい日本を切り拓くエネルギーが生まれるという風に読み取るのかという見方があるわけです。
私どもは確かに寝たきり高齢者、要介護高齢者の増大というものをひしひしと身の回りに感じております。実際に私どもの仲間には多くの介護を実際のサービスとする団体が沢山実在しており、毎日活動をしております。この分野は行政の介護保険であり、社会福祉の諸制度とあわせて私ども民間の市民一人一人が手を差し伸べて、しっかりとした人間らしい生活が出来るシステムを創っていかなければならないというのは自明の事実であります。それについて、私達は力が少ないかも知れませんが賢明に努力をして参りました。大雑把にいうと、1980年には高々数団体しかなかった地域社会におけるたすけあいの団体が、さわやか福祉財団の調査では現時点ではもう3000団体に及ぶ団体にこの20数年を経て大きく成長してきたわけであります。これが1つの面であります。
他方私どもが考えていかなければならないのは、ことに私ども一般市民が考えなければならないのは、団塊の世代を中心としたエネルギーを持ったその個々人の方々のエネルギーや智恵や時間をどういう風に社会的に有効に活用するのかというテーマであります。このことは行政が行う役割ではなくて、当事者の市民一人ひとりが智恵を出して行うべきものであります。
私どもシニアの側も行政に命令されて「あれをやれ、これをやれ」と言われて喜んでやる人はあまりいないわけで、自発的・自主的に自分たちのやりたいことをどんどん組み合わせて、創造的に作っていくということをやり遂げなければいけない。そのことを既に多くのシニア系の団体は実践しつつあります。沢山のソフトをその中で持ち合わせてきているわけです。1980年当時にはなかった、例えば食事サービスを毎日提供するNPOも沢山生まれてきています。色々と行政の方々にいじめられながらも白ナンバーで福祉有償サービスをしっかりと展開する団体が3000団体も全国にうごめいているわけです。又、様々な便利屋さんのような工夫した活動を行うNPOの団体が沢山出てきております。こうした力が合流していくということが重要な段階になってきています。
つまり2007年に新しいエネルギーがどんどん出てくるわけですから、そういったエネルギーがそれぞれの能力を発揮できるような場を皆が力を合わせて作って行くことが必要な段階にきているわけです。まだまだ粗いにしてもそれなりの網の目を作って行くことが必要な段階になってきたわけです。
ただ忘れてならないのはこのことがボランティア団体やNPOの団体、市民団体で出来ることではありません。実は今回代表理事にお願いをする浅野さんは宮城県社会福祉協議会の会長で、社会福祉協議会等のこれまで頑張ってきた団体も当然大きな役割を果たしていただかなければならないという風に思います。ただ、社会福祉協議会だけにお願いをして出来るのかな?という気持ちもありまして、市民の創造的なエネルギーがあちこちで噴出して、それが地域別に連携をしていくという状況が好ましい状況であろうと思います。
もう少し目を転じますと、今日もいらしていただいていますが、連合という労働組合がありまして、この労働組合の方々も同じく団塊の世代の方々を抱えているわけです。大量の方々が労働組合から卒業されるわけです。労働金庫・全労済の会員、組合員であったものが契約がないところに段々と移っていく。これは民間企業も労働組合もその他多くの所で同じような問題が出てきます。そうするとそういった「塀の中」で頑張ってきた人々が、雇用関係が切れたところからどこでどういう風に活躍して行くのかという問題が出てきます。
これまで多くのNPO・ボランティア団体・市民団体は一時期、専業主婦の方々が担っていた世界であります。最近、リタイアした男性が大分目立つようになってきました。塀の中から開かれた地域社会の中へどんどんとでていらっしゃるわけでして、多分地域社会の側で活動されてきた方々と、職域を中心とした活動をされてきた方々とが手を組むことで、大きな人材の流れを作り出すということが可能になる時代なのではないかと私どもは考えました。
こうしたこと、当然労働組合以外にも色々なグループがありまして、例えば私どもがお話しを進めさせていただいている巨大な集団としては生活協同組合、日生協さんがあります。それから個別の協同組合さんとも話しをさせていただいておりますが、日生協さんは全体をあわせると2400万人にもなるということですから、どこを見ても日生協さんの組合員が実はいらっしゃるのだという風に思います。そういうところとも連携をさせていただいて、ある市や町で困っていらっしゃる方がこちらにおり、エネルギーが満ち溢れて何をしていいかわからない方がこちら側におり・・・そういったものを組み合わせて行くという役割を私どもは是非やらせていただいて、住みやすい日本の国を作りたいと思います。
従って中心的な課題は福祉がテーマになると思いますが、これは自らの利益だけを追求するのではなくて、次の世代のことを考えるとすれば、福祉の前提となる例えば環境問題について「我々はもうまもなくあの世へ行くから後は知らないよ」ということにはならないと思います。人間らしく住める環境を目標に、私達の時代の間にどういう世の中にするのかというカーブを切らないといけないという役割も我々にはあろうかと思います。
ただ課題をあげてもこれから始まる団体ですから、そんなに沢山のことが出来るとは思いません。最初の数年は特に地域コミュニティーをどういう風に創造していくのか、最近若い世代の人に「結」なんていう言葉を言っても知らない人が圧倒的多数になっておりまして、昔日本国では地域社会で助け合っていた時代があるといってもなかなか伝わらないような時代になってきているのですが、これは団塊の世代以上の我々がそれを伝える努力をしてこなかった、ないしは努力をしたとしても薄かったということを反省しなければいけないと思います。
どちらにしても一人暮らしの高齢者がどんどん増え、家族機能がなくなっていく中で、行政の福祉施策を強化するのは当然でありますけれども、他方において家族機能が喪失した部分をどのように埋め合わせるのか、ないしはそれ以上の物を私達の手で作り出すのかという共有の課題を私達日本人は受け持たなければならないということになっているのだと思います。
本日、発足します「地域創造ネットワーク・ジャパン」はそういった問題意識に基づいて既存の様々な活動をしている団体が、まずはそこで手を取り合おうと、情報交換をしようとしています。そういったことによって特定の地域で相談を受け、研修をし、サービス提供が出来るようなワンストップサービスというのを作り出そうとしています。
全国にまず100の地域センターを作り出そうとしています。どこにどう事務所を作るんだということになりますが、それは連合、労金、全労済、労福協さんの4団体の方で「事務所代はいらないよ」ということで提供していただけることになりそうなことになっておりますので、各地の事情もあると思いますが、具体化をさせながら進めて行きたいと思います。
なお、初年度の予算については年間3000万円程度のものを予定しております。大きな事業をおこなうには小さな予算ですが、まず、これで出発しながら充実させていきたいと思います。
次に役員人事ですが、この議案にあるように、浅野史郎さんに代表理事、副代表理事には小川泰子さん、落合恵子さん、笹森清さん、議長をやっています高畑敬一さんに、そして、専務理事には私・田中尚輝が当たらせていただきます。
なお、本日の総会までに、組織の中の稟議の通っていない方がいますので、そうした人については地域創造ネットの常務理事会に預からせていただきたいと思います。
皆の知恵とエネルギーを出し合い、つなぎあって住みやすい社会、誰も困ったことになっても十分な応援がある、孤立しないというような社会をつくっていきましょう。
ご質問、ご意見いかがでしょうか。
特になしとみとめますので、原案通り1号議案から5号議案まで可決させていただきます。拍手でご確認ください。(拍手)
では、これにて地域創造ネットワーク・ジャパンのNPO法人総会を終了させていたきます。
ということで、先ほど数分前に代表に選ばれてしまいました、浅野史郎でございます。
私自身も団塊の世代、昭和23年2月8日生まれですから、正真正銘の団塊の世代。正真正銘というのは初代の、という意味です。私どもより1年前の方というのは、学校の朝礼で並ぶとずっと短いんです。我々のところからグッと長くなる。それもそのはず、昭和21年に生まれるということは、その製作過程が昭和20年ということ、戦争が終わったばかりということです。非国民とまでは言わないまでも、相当余裕のある方しかできないということでございます。我々の時には、産めや増やせ、という戦後版でございまして、正真正銘の団塊の世代でございます。
あんまり世代論というのは、私は信じないのですが、しかし団塊の世代には二つ特徴があります。一つはまだ日本が貧しいということを実感として感じていました。給食のミルクは、ガリオアエロア資金で購入された脱脂粉乳でございました。脱、つまり脂肪がないということですから脂肪分がないということでぬるくなると飲める代物ではないと、あの辺から何でも食えるという体質になったのだと思います。やはり腹いっぱい食いたいな、美味しいものを食いたいな、だとかアメリカのホームドラマに見られる芝生のある家に車が2台、3台とあって大型冷蔵庫にいっぱい物が入っているというのが、「わーすげーなー、あんなところと戦争したんだな。我々の先輩は。」というようなことを実感した世代。だから貧しい、物に飢えている。そしてもう一つは、頑張れば、というより普通にやれば親の世代よりはいい生活になるだろうという期待を持って確信できたということです。
今のお子さんは自分の親の世代を生活面で抜けるということは多分出来ないだろうなということを確信して生きている、ということはどちらが幸福かどうかはわかりませんけれども、我々はたぶん単純に将来・未来というものを信じられたという意味では、幸せだったと思います。それからもう一つの特色は人が多いということですね。さっき言ったように。皆ずっとクラスも多いし、我々のときは60人学級でした。複式学級というところもありましたよね。中学校は12クラス、隣の学校は24クラスとかですね、とんでもなく人が多い。人が多い・・・というのは本当に実感してきました。先生も高校入試が大変だ、大学入試も大変だ、就職試験も大変だ、結婚も大変だというので、私は「結婚は同じ年同士ですれば何の問題もない」と言った覚えがあります。大変だ、競争だ、日本には何にも資源もないんだ。だから石油もない、鉄鉱石もない、そういうものは皆輸入してこなくてはいけない、日本にある資源は人間だけだ、人が多いのだから頑張れ! ということでここまでなってしまいました。
我々の間に刷り込みとして多分他の世代と違いがあるとすると、そういう頑張るとか、目立たなければつぶされてしまうという恐怖感です。だから私もムクチに、というのは人より6倍しゃべるというムクチですけれども、そういう風になっております。そして来年の2007年問題ということで、団塊の世代の人たちは引退すると言っても、絶対引退はしないんですよ。そういう体に出来ています。フルタイムということでは引退しますけれども、大部分の場合、このままおめおめと家庭に納まるはずもない。しかもこういう地域創造ネットワークのようなものが出来てくると、必ず仕切りたがります。目立ちたがります。そして他の世代からは「やっぱり、あいつらは」と嫌われ続けます。上からも下からも嫌われ続けながら、その嫌われることにちょっとした喜びを感じつつ、とにかくやっていくということです。
だからこれは、社会としては利用しなければ損ということになってきて、正にそういう人たちが会社のためとか組織のためということを一応一回断ち切られて、しかし「今度はあなた方が地域で活躍するんですよ。」ということになって、日が当たっていると思います。ただ、たまたま団塊の世代というのが2007年問題で大量に社会に出て行くといったって、急にゼロからそうなるわけではありません。既に今、シニアという人たちはそういう生活に入っていらっしゃるわけですし、これからも続々とそういう風になっていくので、別にこれは団塊の世代だけに関することではないという風に考えております。
ということで、私も代表としてこの活動でどういうことを期待するかというと、いわゆるボランティアということですよね。いつもこういう時に話すことは、ボランティアというのは何語かということです。ボランティアというのは英語ですか?と言われて、英語ではないと私は言っているんですね。アメリカのマイアミ辺りに行って、「アイアム・ア・ボランティア」と言ったって絶対に通じません。volunteer のeeの方にアクセントをつけて、しかも最初のボは、vですから上の歯で下唇を噛む破裂音を出すので、英語の辞書を引くときもbではなく、vを探さなくてはならない。辞書で調べると最初どんな訳がでてくるか。有償ボランティアについての議論というのも本当にあるのですが、何となくボランティアというのは無償、無料であるということと、ニアリーイコールのようです。例えば今日こうやって「講演して下さい」と言われても、「浅野さん、すいません。ボランティアなんですけれども」と言われた場合、何のことはない。講演料はあげませんということなんですね、無料でと。何となく、そうでしょう?
だからボランティアは英語ではないと言っているわけです。英語でのvolunteerは徴兵に対する志願兵ですから。そもそも自発的に手を上げて十字軍だっていう風に行くので、そういう志願兵だって給料をもらってますよ。霞を食って生きていくわけにはいかないのだから。だからそれは有償ボランティアですよ。最初の根っこが大事ということで、自発的にと。私はボランティア元年というのは、平成7年の阪神淡路大震災の時ではないかと思ったんですけれどね、あの画面をみて。燃え盛る神戸の町をみて「これはもう」と言って、若い人だけではありませんけれども、若い人を中心にしてバーンと、受け入れ態勢が出来ているかどうか、自分に何が出来るかというのが分らないうちにともかくあそこに行ってしまった。
これを大阪ボランティア協会の早瀬昇さんが「やむにやまれぬ心の動き」という風に訳したわけですね。いい訳だと思います。何かに似ていませんか? そうです、恋に似ているんですね。「やむにやまれぬ心の動き」というのは。恋を強制的にやるという人はいませんから、自発性の極致ですね、恋は。そして許されない恋、禁断の恋、抑えられれば抑えられるほど燃え上がる・・・これはボランティアも同じなんです。そういうような本当の意味でのボランティアというのをどういう風に捉えるかということを、やはりこの「地域創造ネットワーク・ジャパン」の出発点に際して考えてみたいという風に思っております。
かなりこれは、私的、浅野史郎的ボランティア論みたいなものですけれども、まずボランティアのなり手ということを考えた時に、何となくボランティアをやっている人というのは外から見ると「偉い人」という感覚があるんですね。「あんた、ボランティアやってるんだって? すごいね。」とか、めちゃくちゃ誉めます。誉めておいて10メートル位向こうへ行ったところで、「物好き、この野郎!」と言っているんです。つまりそれは「私には出来ないです」と言いながらやりたくないと。単にやりたくないといったらくやしいから、見えないところに行ったら「変わり者」とか「ちょっとおかしい」と。
私はジョギングをやっています。ジョギング知事としてならしたんですけれども、毎朝5時半に起きて6キロぐらい走ります。「ジョギングをやりませんか?」というと、「浅野さん意志が強いですね。」と言われます。18年やっていますけれども、意志の強さだけではジョギングは続きません。眠いのを我慢してとか、今更オリンピックに出ると言う気はさらさらありませんから、楽しいからなんですね。やらないとちょっとおかしくなるという、中毒じゃありませんけれども自然に体が動いてしまう。
ボランティアと言うのは先ほども言いましたが「やむにやまれぬ心の動き」ですから、ジョギングもそうです。それで「ジョギングをやりませんか?」と言うと、「浅野さんみたいに意志が強くないから」と言っておいて、「この変わり者」と言っているんですね。そういう風にみられないようにするということがこの道に、何とか真理教みたいなものなんですけれども、こういうところに信者をいっぱい入れるためには色々なテクニックが要ると思います。そのためには、ボランティアという既成概念を取らなければいけないと思います。いつもこういう時に話すんですけれども、チャランポランぐらいがいいんですね。
実は私は経歴で言うと、厚生省に入って障害福祉課長、後でも言いますけれども障害福祉が私のライフワークだと思ったんですが、それがクビになって就いたポストが社会局生活課長です。その担当が生活協同組合、今日も多くの方が来られていますけれども、そこで私は生活協同組合に出会いました。実は、それは嫌々出会ったんです。嫌々出会ったというのは、私は障害福祉の方に燃えまして、本当に恋人みたいなものだった。だけど国家公務員ですから。辞令一枚で、「今度は浅野君、あの女を愛せ。」と言われて、生協という風に言われた。そんな風に体は簡単に自由になりません。障害福祉の仕事に未練を残して、生活協同組合。
だけど、なったその日に私の前任の人から「浅野君、生活協同組合というのは無限の可能性を持っているんだ。」と言われた。その一言が私にとってのヒントになって、「だったら、生活協同組合と福祉サービスというのを組み合わせよう。」ということになりました。それは平成元年頃でしたが、今で言うNPOによる福祉活動というのが流行のようになったんですね。コープ神戸では利用する方が2時間600円を払って色々なサービスを受けるということが、ありました。これを利用したいということで、生協担当だった私どもで企画して、コーディネーター研修というのをやったんですね。
私も北は北海道から南は鹿児島まで行きました。その2件しか行かなかったんですが。そのうちの北海道ではコープ札幌という生活協同組合のところに行って、コーディネーターの人とお話をしたんですけれども、何人かで聞き取り調査みたいなことをしたんです。私のところに2人のコーディネーターの方が来られて、1人の方はどこかの福祉施設の栄養士さんをしていたのを、50歳になる前に辞めて、コープ札幌の福祉活動に入ったということなんですね。「今じゃないと出来ないから。」ということで、わざわざフルタイムの栄養士の仕事、しかも福祉施設での活動を辞めてこの活動に入ったという方なんです。見るからに立派そうな人ですよ。そして「私は毎日活動が終わったら日誌をつける」と言うので、見せてもらいました。「今日はこういう活動をした、こういう反省点がある、これからこういう活動をしよう」と言ってずっと几帳面な字でつけていました。これがモデルだとしたら、私は駄目だと思いました。こういう方はどこにでもいるわけではないですから。
それで次の方は、「私、チャランポランなんです。」と言ってきました。もう言うまでもない、みれば分かるという感じ。「私、ちょっと体が悪いから。うちの団地にいても、皆はカルチャーセンターやパートに行ったりしているけれど、そういうことも出来なくて、雨の日に北海道新聞の広告を見ていたら、コープ札幌で奉仕活動をやっているというのをみつけて行ってみたんです。」ということでした。「私、出来るかも知れない。」と思って、行ってみたんだそうです。そして色々説明を受けました。奉仕会員というのと、賛助会員というのと、他にもあって、「奉仕会員というのは私には出来ないので、賛助会員でもいいですか?」と言ったら、「まあ、そう言わず。」といって、気づいたらコーディネーターの車に乗せられていたという人なんですね。「気がついたら私、台所で大根を切ってたんです。今日だけにしておこうと思ったら、帰る時におじいちゃんに『またねー』と言われて、『はいー』と言ってしまったから又行かなくちゃ、と思ってもう1回だけと思って行ったら、又帰る時に自分の方が気をつけなくちゃいけないおじいちゃんに『気をつけてなー』と言われて、又行ってしまって、足が抜けなくなってしまった。」ということでした。
契機は、このおじいちゃんが何ヶ月もお風呂に入っていないということを聞いて、何とかお風呂に入れてあげたいということで、札幌市役所に電話をしたんです。「そんなのやっていません。札幌市社会福祉協議会だったら、やります。バスバスというのがあります。」と。バスバスというのは、バスに乗って、バスがくるんですよ、入浴バス。バスバスがあるということで来てもらって、社協からも2人の人に来てもらって、そのおじいちゃんを自分も足を洗ってあげながら入れてあげることが出来た。それでそのおじいちゃんは「あー、もう天国だ。死んでもいい。」と言ったら、「もう足が抜けなくなっちゃったんですよ、だけど私はチャランポランなんです。」というのを聞いた時に、「あ、これだ。」と思ったわけです。チャランポランでいつの間にか始めた人がその活動をやっているうちに足が抜けなくなっちゃった、これがそうだと。
だからコーディネーター研修をその後もやったんですけれども、コーディネーターの人たちに話をする時に、「是非皆さん、チャランポランな振りをして下さい。」と。つまりあまり立派そうな顔をしないというのが一つのコツみたいなものです。そこからいった時に、私はそんなに大げさなことではなくていいという風には思っています。これと矛盾することを後で言ってしまうのですが。例えば、後から言おうと思った"地域の底力"ということを先に言っちゃうと、昨日もあるテレビで言ったコメントなのですが、秋田の痛ましい事件がありましたね。小学校1年生が殺されたと言う事件ですが、あれは地域でも随分色々送り迎えだとかの支えをしていた、それでも起きてしまったというのだから大変なことでした。
例えば、あの辺のおじいちゃん、おばあちゃんで犬の散歩をやっている人はそのまま続けていただくんだけれども、小学校とか幼稚園の生徒の登下校時にあわせて散歩をしてもらったらどうだろうかと。そうすれば犬の散歩は普段どおりにやるわけですから、その時間帯にやればそういう人たちの抑止力になりますよね。ということも、実は本人がボランティアとか社会貢献だとか思わなくても出来る。だから我々はそういうようなちょっとした活動を見つけてあげて、「どうですか?」という風に声をかけるということもあると思います。本当は後から話すべきところだったけれども、こういうのを足し合わせたのが "地域の底力"だという風に思っていますが、この"地域の底力"というのは重要なキーワードなので、後からお話をしたいと思います。
それと矛盾するようだけれども、私が今日この場で言いたいことは、どんな風な活動をするかという活動の内容は、難しいことをやってもらいたいと思うんですね。例えば、私は障害福祉というのがライフワークです。じゃあ、障害者に関わってボランティアをやりたいという時に、私はむしろ重症心身障害児を相手にすることからやってもらいたいという風に思います。それはどういうことかというと、障害をちょっと持った人に車椅子を押してあげるとか、それでもいいんですよ。それでもいいんだけど、話を分り易くするために言っていますが、重症心身障害児というのは、本当に重い障害の人ですよね。重症ですから障害の程度が重い、それが知的と身体と重なっているということですから、本当に重い。コミュニケーションも中々取れない、動けない。そういう人たちに関わっていくだけで、人間とは何かとかそういうことを考えさせられるという契機がある。
これはむしろ手応えというものだと思いますね。その手応えということは、上手くピシッと当たらなければいけませんけれども、実は早いうちに、ボランティアを始めた1日目の最初の瞬間にという感じなんだけれども、手応えというものを感じられると、辞めたいといっても辞められないということがあるので、活動の質みたいなものがある。最初のボランティアだから簡単なところからという風にするのがいいのか、難しいところからというのがいいのかというのは迷うところですけれども、それは難しいか簡単かということよりも活動の質、手応えということを考えてやるということも必要ではないかなという風に思います。
やはりそれは眦を決してというのではなく、チャランポランにというのは若干言い過ぎなんですよ。動機のところを言っているだけで、全部チャランポランでは困るんですけれども。もう一つのキーワードは楽しくということですね。さっきジョギングが18年続いていると話したのは当然楽しいという契機があるから続いているわけで、これが眦を決してオリンピックに!とか毎日やろうとか、いうことになったら続かない。ボランティア活動も同じだろうと。勿論先輩は楽しくなくても楽しい振りをしようと、これも大事ですね。楽しい振りをする、何て楽しいんだろうと。この地域創造ネットワーク・ジャパンでも会員募集活動というのはやりたくないと思っているわけですね。
知事をやっている時に二つの対比するようなことがありました。老人クラブ連合会というところにお招きに預かって、若手老人リクルートの発足の会だというんですよ。老人の中でも古手老人と若手老人というのがあって、老人になったばかりのあの頃は昭和生まれとか言うことだったと思いますが、老人クラブ8000人位の会員を来年までに1万人にしよう! というために若手老人を指名して、何人獲得して来いというリクルート部隊の発足の会なんです。祝辞を頼まれ、おめでとうと言わなければならないところを「そんな馬鹿なことをやめなさい」と言ってしまったわけですよ。まずは、何故今8000人という会員数が年々減っているというのかということを考えなさいよと。「来年の活動の一番大事なことは何ですか?」と訪ねると、「来年何をやるかということを考えるという活動です。」とか、そんなことをやっているわけですから。何故会員が増えないかというと、それは活動自体に魅力がないからということ。だからやるべきことはリクルートではなくて、活動を魅力的にするということですよ。
その反対は宮城県青年団活動ということで、まあ似たようなことなんですよね。青年団、特に農村地方なんですけれども色々な活動をやっています。文化活動をやったりスポーツをやったり・・・それで、いくつかの団体の人に来てもらった。それで「知事話を聞いて下さい。」と。そうすると異口同音に会員が集まらないと。「私はここの会員になったのが20年前で、その時若手だったのに、20年経った今も若手なんですよ。」ということは、その後人が入ってきていないということなんですよね。本当に皆、どうやって会員を増やすんだろうかということで悩んでいるんですね。
そのうちの一人が言いました。「知事、羨ましいのがある」と。それは暴走族です。あれは一切会員募集活動はしないんだそうです。だけど会員がどんどん集まってくるというのは、活動が魅力的だからです。魅力的に過ぎるんですけれども。ということなので、この地域創造ネットワーク・ジャパンも会員募集をしたくないというのは、勝負は会員活動についてのエキスパートをそろえるということではなくて、活動そのものが魅力があれば入ってきたらやめないし口コミで「あなたも、あなたも」という風になるので、是非そこは活動を魅力的にするということでいきたいと思います。
そこで地域の底力ということで今までとちょっと分断されるかもしれないけれども、考えています。宮城県で私が知事の時に2004年の2月に宮城知的障害者施設解体宣言というのを出しました。これはさっき言ったように私は障害福祉の仕事がライフワークです。それで最初に関わった時から、この仕事の目的はなんだろうかということを考えていくと、知的障害を持った人は本人が勿論一番大事。この人たちが一番何を望んでいるかですね。非常に良い施設で住み心地も良くて、指導員も優しくてあったかい、そういう恵まれた施設でずっと生活していることが彼らの目標や願いなのかというと、そうではない。やっぱり地域に出たいと。簡単に言うと普通の生活がしたい、ノーマルライフがしたいと。ノーマライフ、ノーマライズ、ノーマライゼーション、普通の生活というのがそういう人たちにとっても目標なんですね。
ただ、知的障害というハンディキャップを持っているために普通の生活をする上でものすごく難しいという、それが障害の特色です。そうすると我々関わっている方は、その人達に普通の場所で普通の生活をするということをどう実現していくかということを目標にしなければならないと思いました。そうすると宮城県の23の知的障害者施設を、解体宣言というのは解体してしまうというのではなくて、例えば50人の施設だったら、1人2人3人・・・と地域に出てもらう。そのためにグループホームをつくったり、昼間の活動の場をきちんと整備しながら出てもらう。50人の施設で50人が出てしまったらその施設はいらなくなるから解体できますね。関わっている人皆がそれを最終目標にして地域でのそういう土壌を作っていこうと、又入居者に対しても地域生活を送れるような訓練をしていこうというのが解体宣言の趣旨です。
その前に2002年の11月に船形コロニー解体宣言というのがありました。船形コロニーというのは、宮城県の重度の知的障害者のための入所施設として昭和40年代の後半に特別につくられた施設です。入所定員は約480人です。480人の重度知的障害を持った人がそこに入って生活をするということです。周りを見ても365度皆重度の知的障害を持った人達で、しかも死ぬまで入所するところなんですね。罪もないのに無期懲役という表現をする人もいました。その解体宣言というのが、私が全体の解体宣言を発する前にもう既にそういう解体宣言が発せられていました。
宮城県福祉事業団というのが運営していて、田島良昭理事長が入所者の人達に「貴方達の本当の思いを知っていて、知らないふりをしてここまできてごめんなさい。時間が経ってしまったけれど、何とか普通の生活をしてもらいたい。親元に帰すのではなくて故郷に帰すんです」と言いながらやったわけですね。
その時です。地域に帰すという時、色々な条件があると言いましたね。住まいをどうするか、中々一人でポーンと行ってもできません。世話人と言うのをつけて金銭管理とか、コミュニケーションをとるとか、余暇の過ごし方とか、食事の世話とかきめ細かい部分を見てくれる世話人というのがグループホームには就いているんですね。そのケアというのが足の悪い身体障害者にとっての車椅子にあたる。それさえあれば地域で住むことが出来る。勿論それだけじゃ足りない。昼間の生活として出来れば就労をする、就労が出来なければ、日中活動の場をきちんと設ける。
もう一つ大事な条件があるのではないか。それは地域ですね。グループホームで生活をすると言っても周りの方の理解がなければ困るじゃないか。世話人以外にも何かと世話をしてもらえる、そんな人が一杯いるような地域に出したいと思って目を凝らすんですが、そんなところはそう簡単にはないんです。
横浜の栄区桂台に「朋」という施設があります。ここは重症心身障害者という非常に重い障害を持った人が通ってくる通所施設で、20年前に出来ました。今は知的障害者通所更生施設という位置づけになっています。それは日浦美智江さんという人が横浜市立中村養護学校というところでケースワーカーをやっていて、その親御さん達と一緒に活動をしていました。
卒業式と言うと普通は晴れがましいはずのものですが、養護学校に通っている重度の障害を持っている方の親御さんからすれば、卒業式というのは惨憺たるものです。明日から行くところがないのですから。折角これまで養護学校に通って1日のリズムができた、1週間のリズムができたというのを断ち切るのは忍びないということで、プレハブの掘っ立て小屋に日中行けるという場をつくったんです。掘っ立て小屋では限界があるので、ちゃんとした物をつくろうといった時に、横浜市栄区桂台に土地があいているところがあって横浜市が提供するということで、そこにつくろうという話になった。そこで問題が起こったんです。
町内会の人達が、「ここは横浜の田園調布と言われているところです。こういう障害をもった人達の施設をつくるというのは反対です。」と、反対ののろしが上がった。そこを諦めないで説明会をやったり、一生懸命説得をしてきた。その中でもう一つ若草の会という別のボランティア組織もそれがきっかけで出てきたということがあります。しかし、最後の説明会に赤ちゃんを連れてきた若いお母さんが質問をした。「日浦さん、施設ができた時にここへ通ってくる人達は昼間、ここを散歩するんですか?」、と。日浦さんは勿論散歩をさせるつもりだったので、意を決して「散歩をさせます」と言ったら、その質問をしたお母さんが、「それを聞いて安心しました。家の子どもも一緒に散歩しましょうね。」という答えが帰ってきた。そこで日浦さんもホッと安心して涙をポロポロ流した。これで上手くいったんです。
20周年で私は、記念講演会に行ったんです。20年経っていますから若いお母さんとは言えませんでしたけれども。そのお母さんも懇親会に来ていて、その話も直接聞きました。それで、実は「朋」というのが出来た最初のボランティアというのは、反対していたその地域の人達なんです。本当に反対していた人達はいませんでした。しかし何にも知らなかった人達もこの活動を通じて第一号のボランティアになった。一周年のパーティーの時に日浦さんが「お手伝いしていただいて有難う」と言ったら、「何をおっしゃるの、日浦さんと。お礼を言いたいのは私の方です、これまで障害者というのを全然知らなかったのにこうやって教えてもらえました。それを通じて、家族とは何か、愛とは何か、平和とは何か、政治とは何か、社会とは何かということをただで教えてもらいました、ありがとうと言いたいのは私です。」という話です。地域はそこから「朋」と共に歩んできた。
実は私慶應義塾大学藤沢キャンパスの教授でございます。客員教授ではなく、専任教授でございます。明日も政治参加論、本物の民主主義とNPOという授業をやるんです。それはともかくとして、もう一つゼミを持っていまして、地方自治と福祉政策というゼミを持っています。とても熱心な学生なんです。総合政策学部と環境情報学部の学生で福祉専門じゃないんです。だからいいんだという感じもします。
ものすごく熱心で、日浦美智江さんにも講師できてもらったんです。そうしたら皆感激して涙を流して「じゃあ今度の土曜日に朋、行くか?」と言ったら、「行く」と言って、7人の学生が行きました。男子学生が4人、女子学生が3人、合計7人の学生と一緒に朋に行きました。朝の集いというのがあって、女子学生は普通にしていたんですが、男子学生は「初めて見た。どうしていいかわからない。」と言って固まっていました。そのうちの3人は都合があって帰ったのですが、4人は初めて行ったのに食事介助までして帰ってきた。
「どうだった?」とこの前の授業で聞きました。「人生が変わった」というようなもんなんですね。それでその時にグループホームを見てきました。知的障害者のグループホームというのは何千とあるのですが、重度心身障害者のグループホームというのは、滅多にないんです。その先駆けみたいなのが朋で、桂台にあるのでそこへ行ってきました。一杯の人が暮らしていました。とんでもない重い人とか、ヒロコさんという40代の女性に会ってきました。
大体親御さんは、自分が亡き後のことを心配します。ヒロコさんのお父さんも80歳を超えて危なくなってきたので、「俺が死んだらお前も一緒に死ぬか」と言ったら、ヒロコさんは「お先にどうぞ」と言った。それくらい、自立している。彼女はパン屋に勤めています。そういうグループホームをそれとなく支えているのは、地域です。横浜市栄区桂台というのは、多分日本一、二の地域の底力というのがしっかりついたところということになります。
そうすると地域の底力を探す必要はない。ボーンと行く、ボーンと行ったところから地域の底力が後からついてくる、出来てくる。そういうのを見れば、最初は「エーッ、こんな人?」という反応は当たり前です。そこでメゲちゃいけないんです。そこから「アッ、でもこんな風にけなげに生きているんだ。とか、こんなに出来ないところもあるけれど、こんなに出来ることもあるんだ。」ということを知っていく。やはり知識は力です。知っていくことによって自分にできることというのをお手伝いしていく。それが1人や2人ではなく、何人も出てきたら地域の力になっていく。
そのように考えていくと、最初のコンセプトとして障害福祉の仕事というのは、哀れで可愛そうな障害者に何かいいことをやってあげるということではない。少なくともそこで留まるものではない。これは世直しだ、国づくりだということになる。今も正に地域の底力ができて、日本国中地域の底力になったらば、日本は今よりもずっと住み良い所になる。それを誰が仕掛けたのか、障害福祉に関わっている我々だということ、これを地域創造ネットワーク・ジャパンにもしてもらいたいと、実は思っているわけですね。
若干団塊の世代のこれから大量に引退をしていく人達のための自分たちの活動でもある。だから聞いてみると悪い言葉で言うと「こいつら放っておくと小人閑居して不善をなす、ということかな。とか、この人達の奥さんが亭主在宅ストレス症候群になったら可愛そうだな。」とか、そういうためにこういうことをやったという風に捉えられかねない。もちろんそうではないんだけれども。そうでなくて、何かいい活動とマッチングさせて団塊の世代の人達にいい気持ちになってもらいましょう。というのでは、ちょっと寂しい。
それで、私が代表に納まったとすれば、転んでもただでは起きないということで、この活動をまだまだ高い能力と意欲のある団塊の世代、或いはシニアの人にとってのいい機会を与える場にするということと同時に、世直しだ、国づくりだということをやろうじゃないか、ということを結論に持ってこようということで、今日は一生懸命お話しをしました。そうすると何となく活動のフィールドを代表の私とすれば、福祉でやってもらいたいなと。もちろん環境とか、国際協力とか、子育てとか、色々ありますよ。私的にいえば、障害者福祉から始めたほうがやりやすいと思います。そこに留まる必要はない、そこから段々活動を広げて行けばいいと思います。最初の小学校一年生は、障害福祉、しかも重い障害を持った人との関わりということからやってみたらどうでしょう。これは一つの提案です。こういう機会を得ましたので、そんなお話をさせていただきました。
実は私、宮城県社会福祉協議会の会長という重職を担っていますので、直前まで仙台で宮城県社会福祉協議会の評議委員会というのを終えてきました。そして明日は慶応大学に行って政治参加論で、NPOとはという話を政治学的にするわけです。「これは本物の民主主義ということの実践だよ。俺は、地域創造ネットワーク・ジャパンの代表に昨日なったんだよ」ということを、そこは言いませんけど。翌日の水曜日は地方自治と福祉政策ということで、福祉政策というのは哀れで可愛そうな障害者に何かをやってあげると言う話ではないよ、世直しだよということを何度も何度も言うわけです。そこに副代表の小川泰子さんがパワーポイントを持って、説得力のあるようにする。全て上手く回ってるんですね。ということを言いながら、今日の歴史的な場面で話をさせていただきました。ありがとうございました。
お待たせしました。それでは記念フォーラムに入らせていただきます。記念フォーラムは4人のパネラーの方とコーディネーターということで、今お話しいただいた新代表の浅野史郎さん、作家の落合恵子さん、タイムバンクUSA理事で日米の架け橋を務めておられる、ヘロン久保田雅子さん、労働者福祉中央協議会会長の笹森清さん、コーディネーターは社会福祉法人いきいき福祉会の専務理事の小川泰子さんです。では、小川さんよろしくお願い致します。
では、3部です。シンポジウムを行いたいと思います。このシンポジウム、御覧いただきますように、それぞれ1時間〜2時間は平気で話して止めるのが大変というメンバーが揃っておりますので、コーディネーターではなくタイムキーパーをきちんとやろうと思います。
ずっとスタートから話されていますように、団塊の世代の退職問題、2007年問題が来るぞ来るぞと狼が来るかのごとく言われていますが、私達はやはりピンチではなくチャンスと捉えたいと思っています。そして困難ではなく、地域社会の改革に変えていくべくこの地域創造ネットワーク・ジャパンがスタートしたと思っています。そういう意味では団塊の世代は問題児でもお荷物でもなく、むしろ地域に戻ってくることを私達はチャンスとして地域の活性化を図りたいと思います。
それと同時に先程控え室で「団塊の世代っていつまでなんだろう?」と言われましたが、昭和22年〜24年ですか、ところが私は昭和25年ですので、多分笹森さんの話だと昭和27年位までだろうと。いわゆる1クラス50人以上いて、学年が13〜15クラスあった時代と受け止めますと、この世代が次世代に何を残し、安心な地域の中の暮らしのセイフティーネットをどうつくるかということが非常に問題であろうかと思っています。そういう意味でそれぞれの方に自由闊達に思いを語っていただきたいと思っています。では早速ですけれども、テーマとしまして団塊の世代への期待を自己紹介を含めて話していただきたいと思います。笹森さんからお願いします。
笹森です。それでは口火を切らせていただきます。後で時間が間に合えば資料を1部だけ刷って、皆さん方に持って帰っていただきたいと思います。少子高齢社会の進行というグラフがあります。これは総人口から生産年齢人口、前期高齢者、後期高齢者、そして年少人口、これが全部グラフになっています。これが100年の単位で1950年から2050年まで刻んであるんです。このグラフだけで、大体45分話せます。日本社会はどうなるのかという感じでね。少しだけこの中身を話しますから、これは是非持ち帰っていただきたいと思います。「こんな社会になって、その時に人数の多い団塊の世代が一体何をやるの?」と、こういう話に繋げていただければと思うのですが。
今、コーディネーターの方から団塊の世代の話が出ました。人数をちょっと頭の中に入れておいて下さい。昭和22年(1947年)、267万人です。そしてその翌年、268万人です。そしてその翌年が269万人です。不思議なことに、1万人ずつ増えるんですね。260万人を超したのはこの3年間だけ。そして200万人を下回るのが、先程お話のあった28年からなんです。昭和27年(1952年)は、200万人です。
今の3年間だけで、804万人。20年、21年はさっきの浅野さんの話だと非国民になっちゃうといけないので除いておいて、27年までということは5年間ですから、200万人ずつ増えるということになるとこの5年間で1200万人ですよ。その上で今の日本の構造がどうかというと、戦争に負けた昭和20年(1950年)は、7200万人の人口だったんです。今は1億2千700万人です。60年間で5500万人増えたうちの800万人+400万人=1200万人が団塊の世代ですよと、これがいわゆる2017年問題でこれから定年60歳を迎えていくとなった時に、今まで働き蟻で本当に企業戦士だったこの人達がリタイアした時に、養われる側に戻っちゃっていいの? ということになった時に、そんな世の中にしてはいけないし、そんなに老いぼれてはいないだろうと。
かく言う私は、昭和15年(1940年)生まれですから、65歳。今この表の統計用語で言うと、前期高齢者になるわけです。ということは、団塊の世代というのは私よりワンジェネレーション位下になりますから、今まで命令して使ってきた後輩と言うことになりますけれども、もう一つ言い換えると、この世代に助けてもらってきた我々の年代とも言えます。この実力をもの凄く分かっています。先程浅野さんが地域の底力と言う言葉を使われたけれども、私は現場の底力、現場パワーというものをこの人達が担ってきたと思っています。それがこれから地域社会の生活のパワーで繋がれるかどうかと、このことを大いに期待をしたいという風に思っています。
ありがとうございました。続きまして、ヘロン久保田さんです。先程紹介がありましたように日本とアメリカを行ったり来たりの生活を送っていらっしゃいます。私は10数年前に松山でお会いしました。その時に地域通貨の話を熱心にしていらっしゃった印象がとても強かったので、今回の地域創造ネットワーク・ジャパンにおいて地域経済の活性というのが欠かせないと、もしかしたら地域通貨の問題が具体的に実行できるチャンスかもしれないと思いまして、どうしてもヘロンさんに参加していただきたいと田中尚輝さんにお願いしたのです。
アメリカの団塊の世代についてちょっと話したいと思いますが、その前に一言。この地域創造ネットワーク・ジャパンの主旨を聞いていまして、アメリカのAARPに似ているなと思ったんですね。ただ設立した時代背景とか事情がAARPとは違っています。アメリカのAARPは、エセル・パーシー・アンドラスさんという一人の退職者教師によって創設され、その後さまざまな変遷を経て、現在、各州をネットワーク化しようとしているわけです。日本のように、すでに多くの高齢者団体が存在する中では、ひとつの巨大組織というより、ネットワークを組んでいくのがふさわしいあり方だと思います。
それではアメリカの団塊の世代についてお話をしようと思います。アメリカの団塊の世代は日本よりももっと長い期間で、1946年から1964年に産まれた人達で、7750万人もいるんですね。この人達のことを、マーケティング上では、とても大切な顧客として扱っています。団塊の世代が私達をどう変えるか、ということも一つですけれども、彼達がマーケティングをどのように変えていくかというところでかなり注目されている世代なのです。この人達が何で注目されているのかと言いますと、"十把一絡げ"と言う表現がありますが、そうではなくて多様なんですね。この7750万人がそれぞれの顔を持って、それぞれの地域で独自の生活をしている。勿論アメリカの場合は人種も違いますし、言葉も違います。私は今マイアミに住んでいますけれども、この年、(私は笹森さんよりも1歳年下だから前期高齢者ですか)になって、大学に行き始めました。私が通っている大学は43ヶ国語が話されているまるで外国にいるような大学です。それと同じような多様な文化、生活に対応しないといけない状況が団塊の世代に起ころうとしているんですね。ですからマーケティングとしてはとてもおもしろい。この地域創造ネットワーク・ジャパンが多分直面することだと思いますけれども、今後多様な顔、様々な生活文化に対してどのような対応をしていくのかということが重要になってくるかと思います。AARPで1998年にベビーブーマーの調査をしました。その5年後にフォローアップの調査をしましたら、1998年にした調査に比べて、自分たちはもっと主役になって団塊の世代というか高齢社会を支えていきたいと。詳しく説明しますと時間が足りなくなってしまうのですが、ただこの5年間にアメリカでは色々なことが起こりました。例えば、9・11(ナイン・イレブン)。9月11日の同時多発テロ。人々の価値観が大きく変わった事件がありました。それから、日本と同じなんですけれども赤字財政で自分たちの国民年金がどうなるかわからないという事情の中で、主体性を持った人達がこの5年間の内に増えたという結果が、5年後の調査に出ています。これはAARPのホームページを見ますと詳しく出ていますので、皆さん是非ご覧になっていただきたいと思います。私も今後田中さんに地域創造ネットワーク・ジャパンの関係で色々書かせていただけるようであれば、米国でのAARPの活動を紹介していきたいと思っております。ありがとうございました。
ありがとうございました。アメリカのAARPの動き或いはタイムダラーの問題等は、それを支持する人やまだまだ問題が多いという様々な考え方があると思います。日本の中で地域通貨が中々機能していかないという問題を、ヘロンさんのメッセージの中から次の時にはもう一回り考えていけたらな、という風に思っています。それでは最後ですけれども落合恵子さんです。団塊の世代にとっても、又、私どもクロワッサンの創刊の頃からずっと落合恵子さんに憧れていて、本日ここにいらっしゃる男性の多くも声を聞いただけで青春に戻るという方が沢山いらっしゃると思います。落合恵子さん、よろしくお願いいたします。
こんにちは。落合でございます。先程1945年、1946年生まれの人・・・が「非国民?」という言葉が出ていましたけれど。ごめんなさい。私は途中で来たので分からなかったんですが、どういうお話だったんですか?
あの頃に子どもをつくった人は余裕があっていいなーという話でした。
はい、私も「非国民」として産まれた子どものひとりです。母親はシングルマザーで、相手の男性、父に当たる人とは連絡が取れない、という状況の中で私を出産しました。その母親が現在83歳になっております。在宅で介護を始めて6年経ちます。このような平坦な言葉で語ってしまうと、とても日々、或いは大丈夫だったんだねと思われるかもしれませんが、正直へロヘロになったり、社会そのものや医療に対して怒りを感じたり、違うかなという思いもあります。結局患者に我慢を強いるしかないのかと心をかき乱されそうになったこともあります。
そういったことも含めて今回の地域創造ネットワーク・ジャパン、正直申し上げると田中さんからご連絡をいただいて、普段私は集団の中に入るととてもセンシティブでナーバスになりやすいので、どうしようかと。田中さんからご連絡をいただいた時に丁度母親の入退院があったので、正直面倒くさくなってしまって、「田中さんが、言うならいいかな」と答えてしまって、まだ理解できていないところが沢山あるんです。先程ヘロンさんのお話を伺っていて、思い出しました。
私は1945年生まれ、現在61歳ですが、厳密に言うと団塊の世代の人より2歳くらい年上です。けれども学生時代、彼らや彼女達と重なった日々をも生きてきたという気がするんですが。あの当時大好きだった言葉、"Don't trust over thirty"という言葉がありました。―30歳以上を信じるな―と、20代はじめの私達は言っていた。でも今、気が付けば「30歳以上を信じるな」と言っている私達が×(掛ける)2の年齢になってしまっているので、何を信じていったらいいのかという思いが一方にはありますが。
その中で私自身が最近感じることの一つ、つい最近新聞に書いたばかりですが、「お帰りなさい、男性たち」というコラムを書きました。長い間好むと好まざるとに関わらず、特に男性たちは、この社会システムの結果ですが外に出て行かれる日々が多かった。つまり地域住民としては、ごめんなさい、定時制の住民でおられた。女性たちの殆どの場合は全日制住民としての日々をサポートしていました。その定時制の住民が、今、全日制に変わろうとしている。これが正に地域創造ネットワーク・ジャパンのベースにあるのだと思いますが、さあ帰ってこられました。さあ、帰ってきた。でも今まで通り女を支配しようと思ったら間違いだよ、と釘をさした上で、でも一緒に生きていきましょうよと。だってこの生き難い社会なんですから。という思いが、私が地域創造ネットワーク・ジャパンに参加させていただいた大きな理由です。
そしてもう一つ。これは私の個人的な体験でしかありませんが、個人的な体験を突き詰めて穴を掘っていくと、地下水脈で当然ながら普遍化できる。多くの介護をしているご家族は同じことに突き当たっているんだろうな、多くの人達はここで苦しんでいるんだろうな、苦しみつつ中々声が社会の表面に出てこないんだろうな、ということに気がついた時、正にこれはアメリカから海を越えてわたってきた当時の言葉で、1970年代ですね。"Personal is political"という言葉、女性の運動の一つのメッセージでしたが、極めて個人的に思えることも穴をどんどんどんどん掘って行けば全部ある意味での力学、或いは政治力ということですが、そこと結びつくんだということ。
つまり福祉というのもどんなに個人が叫んでも、勿論個人として立っていきたいですが、個人が叫んでもどこかで力学・或いは政治というものにぶつかっていく。それらを迂回するのでもなく、又それらから足を引きずられるのでもなく、個々人としてどう向かい合っていくかという時のネットワークづくりが、敢えて言ってしまえば団塊の世代は昔得意だったはずじゃないか。
多分ここでも当時挫折した方が大勢いらっしゃるでしょう。私も挫折したうちの1人です。又、間違った方向に走ってしまったこともあったかも知れない。でも私達はもう1度個として立って、かつ、ネットワークの基本というのは私は個だと思いますからね。個をきっちり見つめないようなネットワークは潰せというのが私の感覚で、ずっと潰してきた人間ですが。個人を大事にすること、そして向こう側に見えるのも個人。けれどもその個人個人が可能な限りやわらかく手をつないでいく。だから私は最近ネットワークと言わないで、ニットワークと言っているんですね。編み物と同じ。あるテーマにおいては結び合って行きましょう、このテーマが終わったら離れても良いんだ、ほどいてもいいんだ、又結び合っていきましょうという、ネットワーク・ニットワークの形がこの活動を通して出来たらとてもとても嬉しいと思います。
そしてもう一つ、団塊の世代ということについてある意味では世代でくくってしまうこと自体私は好きではないのですけれども、敢えてくくってしまえば、あの当時に身につけた一つの方法です。全ての方法ではなくて、色んな方法の中の一つに異議申し立てということがありましたね、Objection。私はそうは思わない、この部分は私はこう変えたほうがいいと思う。いつも反対するだけじゃなくて、反対しているものの体質を変えるために自分たちは何を支持するのか、ノーとイエスをちゃんと見つめながらやっていけることが期待できたらな、という思いが私の中にとても強くあります。以上です。ありがとうございました。
ありがとうございました。いつ聞いても本当にしなやかで。しなやかだからこそ、怒りということを感じる感性があるのだと。固まった頭だと段々怒りも鈍って来るんだと思いますけれども。早速二つ目のテーマに入りたいと思います。今、落合さんがおっしゃってくださったように、50歳以上を含めまして世代をあまりくくらない、もう少し幅広く考えたいと思います。60・70・80歳代でもまだまだ地域の中で動いている方が沢山いらっしゃいます。私も今、特別養護老人ホームの施設長をしておりますが、介護の現場に70歳以上の方が講座をしに来てくださったり、音楽を聞かせてくれたりするという方も沢山いらっしゃいます。
それともう一つ、今福祉現場で働く人の年齢が非常に若くなってきています。そうすると介護を受ける方の年齢とその若い世代のギャップで生活の文化だとか習慣だとか、その辺りが非常にギクシャクしている部分もあります。その緩和剤になってくれる世代もあります。「シニアが果たす役割」ということで、もう少し幅を広げたお話をしていただきたいと思いますが、今度は手を挙げていただいて、1番笹森さんでいいですか。
それでは突破口ということで口火を切らせていただきます。まずですね、今日の演壇を見て「えっ?」と思われる方がいらっしゃるかと思います。普通こういうことをやると、男が4人、女が一人位なんですね。今日は女性の方が多いですけれども。会場のほうには半々までいかないけれど、相当数女性が多い。私どもの労働組合なんていうと殆どネクタイを締めたおじさんばかりで、それじゃあ世の中良くならないということなんだけれど。そういう中で特に最初、浅野さんの基調講演であった福祉を中心にするといった時に、福祉の担い手が全部女性でいいんですか? ということを「もうちょっと男どもは考えろや」ということを含めてシニアの役割というのを申し上げたいと思います。
後で先程の表が配られますが、その中で数字だけ一つ言っておくと生産年齢人口これは15歳から64歳までですね、2000年までずっと高度経済成長時代と同じように右肩上がりだった。増え続けていた。正確に言うと2006年を起点にしてここからずっと落ちてきます、右肩下がりにね。これに加えて、ちょうど2000年までは子どもの数がそれほど減りませんでした。高齢者の数が右肩上がりで増え始め、1990年代の半ばで子どもが減ってくる数と高齢者の増える数がクロスして逆転するんですよ。生産年齢が減ってきて、お金の掛かるお年寄りが増えてくる。
これが2000年以降の図式だからこのことに対してどうするの? ということを考えた場合、そこでもう一つ、この中で前期高齢者というのが65歳から74歳まで、そして後期高齢者が75歳以上になるのですが、これも2010年代の半ばで、後期高齢者が前期高齢者の数を上回ります。だからもっと金の掛かるお年寄りが増えるんですね。そこで発想の転換をということをシニアの世代に呼びかけたい。どういうことかというと、こういうことになるんでしょう。
この間堺屋太一さんがこんなことを言っていて、読売のコラムをみかけました。少し話を聞きにいって、そのことを宣伝して歩きましょうと言って今使わせてもらっています。春夏秋冬、四季の始まりは春で終わりが冬という春夏秋冬ってありますね。ところがこれを人生に置き換えていった場合に物事の始まりは土の中で育まれる、醸成される期間、これが冬なんです。これを20年という仮定をすると、若干生産年齢に入っているけれども殆ど稼がない時代を冬の時代に置き換える。その次に20歳から40歳の20年間、これを物事を生み、育み育てていくという期間、言うなれば青春という風に置き換える。40歳から60歳の20年間をこれは一番の熟年の層、壮年の層になってくる。これは最高に人間の力を発揮するという年代が、この40歳から60歳まで。そして60歳から80歳までが秋。これは初秋とか白秋という風に呼ばれますが、この間は物事の豊かな実りを収穫しながら人生を終えていくと。人生80年時代だからそういう四季の置き換えに変えていこうよと。すると春夏秋冬、春・夏・秋・冬というのが、玄冬・青春・朱夏・白秋と置き換えようと。玄冬というのは玄米の玄、青春は読んだ通り、朱夏は朱色の夏で本当にいい年であるということ、それから白秋は実りの秋。
これはどういうことかと言いますと、小泉さんがお好きだそうですが信長の時代、もうじき「巧名が辻」でもそろそろ本能寺になるのでしょうが、必ず信長が炎の中で死んでいきますね。「人生五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」と言った。この50年と言うのは、明治維新からそして明治の時代まで50年時代が続くわけですよ。しかし世の中を変えていった大きな力、坂本竜馬とか高杉晋作さんだとかね、近藤勇とか土方歳三20代の終わりから30代の始めです。50年時代の30歳そこそこと言うのは、80年時代に置き換えたらいくつになるのですか、50歳でしょう。この人達が本当に世の中を動かしていく原動力。その上でもう養ってもらっていいですよという60歳以上、65歳以上の年齢が、今度は80年時代の朱夏から白秋にいく年代の中で、まだまだ十分に耐用年数がありますよと言う風に置き換えてみる。その時にこの人達が世の中に自分たちが今まで人生を過ごしてきた経験をどのように活かして社会還元するのか、社会貢献をするのか。そのためにここでネットワークをつくりながら色々な人達がそこに集まってくるということで、色々なノウハウの提供で力あわせが出来ないか。というのがこれからの時代じゃないかな、という風に思います。
その上で昔のいい方で言えば、20歳で成人、40歳で不惑、60歳還暦、70歳で古希。古希というのは古くてまれな人と書きます。今は古くてまれな人の方がよっぽど多い。この時代の中でまれじゃないそういう人達が、社会のためにということでどういう置き換えが出来てくるのか。そこが人口構造の変化の中で、そして人口構造のピラミッドが逆ピラミッドになっていこうとしている中での人生の新しいつくり変えの仕方、そうなってくると働き方、生き方、暮らし方を変えなければならなくなってくるという風に私はなるんだろうと思います。
私が連合会長になりましたのが、2001年、丁度20世紀最初の年でした。その年に一般的に言えば、労働組合はいらないとかそんなの役に立たないとかいう声が非常に多かった。本当にそうなのかな? 労働組合と言うのは世の中のためにならないのかな? 働いている人のためにちっともなっていないのかな? このことを自分が現場に行って確かめて見たいという思いの中で、全国47都道府県を9ヶ月かけて一巡をさせてもらいました。その中で行けば必ず知事にお会いする、行政の方、最後には市町村長、そして地方の経営者、NPO、ボランティア・・・色々な方々とお会いしました。
浅野知事ともその時に廻って行って色々なお話をさせていただきました。今日お隣にいるヘロンさん、丁度愛媛県にいった時に介護の福祉センターの個人ビレッジで色々な面倒を見ておられて、一緒にお話をさせていただくと言う機会がありました。私はその中で地域が段々過疎化をして高齢化していく、そういう中でお年寄り達を含めて町をどう活性化させていくのかということを考えました。
これからの時代はいい時代が終わったとは言われているけれども、本当にパワーを集めるために何をやるかと言うことを考えました。働く人達と、そしてNPOの人達のイデオロギー要りませんよと言ったのが、地域という一つのくくりの中で生活を拠点にしながら地域社会との共存・共生をどういう風にやるか、そのために今まで皆が持っているノウハウをどういう風に提供し、その力を合わせられるか。このことをやることが、これからのいろいろな意味での社会運動になり、これが1番必要ではないかと思いました。その後誰が主役になるかということは、全く関係ない。
となると、たまたま連合というのは全国で700万人の組織です。これは中国を除いて世界の中で3番目の大きな労働団体ということになっています。この数の力というのは、数だけじゃなくて全国47都道府県、市町村にまで全部ネットワークを持っている組織です。そこに人がいる。そして運動のノウハウがある。このことを受け皿として提供させようと。そこにNPOや色々な団体が乗っかっていただいて、その皿の上で何をやるのかということを一緒に考えようということをやりたいなと、こう思ったわけです。
地域創造ネットワーク・ジャパンの声が掛かった時に、「喜んでやらせていただきます」ということで、先程浅野さんは「乗っかっていればいい」と仰いましたが、浅野さんは福祉の専門家ですので、このリーダーシップの下で私の方が具体的な運動をどう展開するのかということを考えさせていただき、行動させていただきたい。
その中で私は5K2A5つのK、2つのAです。2つのAは何かと言うと、安全と安心をどう提供できるか、そのための地域ネットワークをどのようにつくれるかというのが2Aなんですね。それから5Kは、これからの少子高齢化社会の中で何としても福祉を中心にしながらこのことをやらなければいけないということであります。1つは健康づくり、それから子育てが2つ目のKですね。それから介護のK、そこに環境のKがきまして、教育のKです。この5つのKに対してNPO或いは地域をどうつくり出すかという創造ネットワークの中で色々な役割分担をし、色々なノウハウを持った人がここにどう集まってこられるかということだと思います。
先程珍しく祝電が来たという中に、熊本県知事の潮谷さんの名前がありました。先程申し上げた全国を廻った時に、丁度潮谷さんが初当選をされた直後でした。連合は潮谷さんと全然違う人を応援していたものですから具合が悪かったということもあるんですが、それ以降非常に仲良くなりました。潮谷さんも福祉の専門家です。先週も改めて熊本に行ってお会いした時に、「こういうことで浅野さんの下でやることになりましたから」と報告すると、「電報を打ちます。私の県も是非そういうことに参加をさせてもらいたい。」という意志を示されたことが祝電の中に表れていたと思います。
こんな風な思いの中で、団塊の世代、そして少子高齢化社会が暗いかと言えば、暗くないですよ。パワーを持った人が沢山いるんだから。このパワーを活かすことが出来さえすれば、高齢社会は必ず明るい社会に必ず自分たちの手でつくりかえられると思います。そのことを、最初に浅野さんがおっしゃったボランティアの自発で参加をし、自主的に運営をし、自力で解決をするという上手い運動展開をしていけたら・・・と思っています。
ありがとうございます。何だか笹森さんでまとめが出来たように話が整理されてしまいましたが。まだ続いておりますので。では、ヘロンさんお願いします。
では先程小川さんから提案のあったタイムダラーについてお話ししたいと思うのですが、実は1996年に地域通貨・タイムダラーの創始者エドガー・カーンさんと実践者のアナ・ミヤレスさんをお招きしまして、愛媛県の関前村という小さな島で(今は今治市に合併していますけれども)でタイムダラーを始めました。日本でのタイムダラーでは、会員の数が多くて70名余りで、大型の団体がいない理由の一つに関前村で小さく始まった事があるのではないかな?と、私自身割と責任を感じているのですが。ただそれだけに手作りの、アメリカでは味わえないとてもいいタイムダラーが育っていっているのではないかという風に思っています。
現在日本では、私たちのNPO法人が中心になって育てて行った、主に愛媛県中心の団体に加えて、さわやか福祉財団にもお世話になりながら、日本で大体50くらいのタイムダラー団体が継続して育っています。そういった事情を持ちながらアメリカに行って、実際に当事者の観点でアナさんたち、団体の指導者にお会いして、私がハッと思ったことがあります。「あぁ、これが理由で日本ではこれ以上大きくならなかったのかな?」という理由がありました。
日本ではneighbor to neighbor、近所づきあいの中でのお互いがお互いを助け合うプロジェクトにほとんどのタイム・ダラーは使われていました。ただアメリカの事情を見ますと、タイム・ダラーは一種のツールであって、様々な行政の事業とか企業の事業の中に組み込まれている。上手にWin-Win関係が出来ている。このWin-Win関係についてちょっと説明したいと思うんですが、とても効果的な例がありますのでAARPを使って説明したいと思います。
AARPに「AARPセイフティードライバー」というプログラムがあります。これは55歳から例えば視力が落ちたり、それから反射神経が衰えたりということで、安全運転を教えるのですがAARPの州支部で、地域のインストラクターを募集し、地域の企業、学校、病院、銀行だとかデパート・スーパー等にお願いに行って、場所やコンピューターなどプログラムに必要な物資の提供をしてくれる協働団体を募ります。
インストラクターの養成はAARP本部の費用でし、受講者は受講料10ドルずつ払います。インストラクターの上にコーディネーターという役割がありまして、その人たちが、地域の企業への交渉や受講者を集めるなどプログラムに必要な、色々なことをするわけです。そして電話係がいて、電話係は家の電話、携帯電話で人々を集める。だからホームページで見ますと立派な「AARPセイフティードライバー」という事業ですが、このように地域の会員が一緒になってそれぞれがWin-Win関係を得ている、受講者にとってはとてもいい授業が受けられる。特にAARPのこのプログラムは1990年頃から急激に延びたのですが、何故かと言いますと保険会社とAARPが提携をしまして、この授業を受けた人に対して保険料の1割の割引があるんですね。そういったことで、とにかくお互いがあまり努力をしなくても、資金を出さなくても上手く回っていく、お互いが楽しめ、得をする仕組みが出来ているのです。
これと同じようなWin Win 関係がアメリカのタイムダラーでも行われています。地域の事情を調査し、分析しながら、まずは人が資源ではないかというところから人々の能力を掘り起こして、その人資源を企業の資源とどのように組み合わせれば強い力になるだろうということをアメリカのタイム・ダラーはやってきています。例えば、ペンシルバニアのある事業は、病院と一緒に退院してきた患者さん達に対してタイムダラーの人達が相談だとか家事サービスだとか福祉タクシーだとかそういうことを、病院の予算を提供してもらいながら、実施しています。そして患者さんが元気になった時には地域の会員になって、お互いにサービスの交換をするという、タイムダラー団体にも病院にも、お互いに得になるプログラムです。
それからトラッシュ・バスターズというこれはゴースト・バスターズと同じでゴミ退治なんですが、お年寄りになると、例えば新聞を一杯溜めたり、家の中がゴミだらけで、生活できるような環境じゃないところで暮らしている人がいます。それを楽しくティーンエイジャーと一緒になってトラッシュ・バスターズというプログラムを実施しています。
それからシカゴに家庭教師プログラムというのがあって、これは教育委員会と一緒になって放課後プログラムで生徒達がお互いに教え合ういうプログラムをやっていたり・・・既存の大きな事業の中にタイムダラーを組み込みながら資本や予算の提供を受け、事業を進めている。小さいグループで会費だけでやっているのではない拡がりをみせている。これは本当にすばらしいと思って、是非取り入れたいと思っています。
イギリスの場合は、福祉法改正があったんですが、その中にタイムダラーを取り入れています。ソーシャル・フランチャイズという言葉がありますが、タイムダラーで、例えばマクドナルドのようにしっかりとしたフランチャイズ方式をつくりまして、それを地域に合わせたソーシャル・フランチャイズとして、方式を各団体に売るのではなく、会を広げていくために、シェアをする。このようにさまざまな工夫をして、はじめてタイムダラーが確実に広がり、継続するのだと、日本でもぜひ取り入れていきたいと、アメリカにいて感じました。
ただ日本で小さくても、細々とでも、継続して、この10年間育ててきて良かったと思うのは、本当に地域の人達が自分たちが主役になってやってきたので、行政の人が上からボーンと、又フランチャイズでポーンとやったのではない良さががあります。この良さを、逆に大きい組織の多いアメリカで、少人数のタイムバンクを農村だとか、エスニックのグループでやってみたいという要請があります。イギリスの場合も移民の多い地域でこのタイムダラーの手法を教えてほしいといわれ、昨年の8月、ロンドンで要請講座を実践してきました。「世界って狭いな」と思うのは、色々な手法を織り交ぜながら自分たちに相応しいプログラムを地域の住民が主体となって、創り上げて行くということが大切ではないかなという風に思います。
ありがとうございます。今ヘロンさんのお話を聞きながら松山でお話ししてくださった時の情熱に更に知識も手法も事例も豊富になっていると感じました。私は地域創造ネットワーク・ジャパンのお話をいただいた時に、1番に思ったのは、助け合いという言葉だけでどれだけの人が参加できるだろうかということがありましたので、それを目に見えるシステムとして地域通貨の問題が欠かせないという風に思ってきています。是非今回の器でこれが実現出来ればいいなという風に思っています。ヘロンさんの文章は「ふれあいネット」(長寿社会文化協会発行)に出ていますので、又機会があればお読みください。
さて、笹森さん、ヘロン久保田さんのお二人にお話しいただいてきましたけれども、お二人のお話の中でいよいよシニア世代の力を次世代の日本の高齢社会・長寿社会にエネルギーに変えようというイメージも少し沸いてきたのではないかと思います。先程記者会見の時に研修のプログラムがどういうことでしょうかというお話の中で、ヘルパー2級とかの話が出ましたが、私はもう一歩広げて地域をプロデュースする・コーディネートする人が必要だと思います。ソーシャルワーカーというのは社会福祉士だけが行う問題ではなくて、地域全体をプロデュースするという時に社会の資本・企業の資本・そして行政のシステムそれからそれを仕組みとしていくための政治ということを考える必要があると思っています。市民は(特に福祉関係者は)常に政治と一緒に仕事をしているような感じなのですが、そういう意味で改めて国が考える専門家、或いは福祉行政の厚生労働省が考える専門家ではなく地域に必要な専門家がこれからどのようにつくられるかも、この世代に掛かっていると思っています。
落合さんが先程、お母様の介護をしながら様々なサービスを通して今怒りに思っていること、福祉の専門性を広げるという意味合いもあると思いますので、それも含めてシニア世代が果たす役割についてお話しいただきたいと思います。
その前に、「シニア世代が果たす役割」という言葉にウエイトを置いた時には、何か出来る自分をそれぞれの方が考えておられるのだと思います。それはそれで、これからの時代、より大事なテーマになっていくでしょう。でも忘れていただきたくないのは、何も出来ないという状況でシニアの世代を生きているという人も大勢いるということです。私は長い間、母、或いは母と同じような認知症やその他もろもろの状況を生きている高齢者をみてきました。例えば「シニア世代が果たす役割」というコピーそのものがその人達を傷つける場合があるということをどこまで私達がシェアできるかな、この地域創造ネットワーク・ジャパンを考える時の私は意外とベースになるんじゃないかと思います。
寝たきり防止という言葉があります。多くの人はうん、うんと思うんですよ。でももう既に寝たきりの状況にいる人にとって、寝たきり防止という言葉がどれほど鋭い刃になるか私達は考えられるだろうか。転倒防止という言葉もそうです。それからその他諸々のキャッチコピー、健康な人たちが「そうだよね」と思える言葉がそうではない人々を悪意なしであるのだけれど、傷つける。元気なお年寄り、活動するお年寄り、アクティブなお年寄り、高齢者でもこんなに元気、あらゆる所でそういう言葉をお使いになるんですが、そういったテレビや記事のクローズアップが。皆が日野原さんにはなれない。でも皆がそうだよと思ってしまった時、その網目から落ちていく人の気持ちをもう1回きっちり捉え直すことが出来なかったら、地域創造ネットワークって何のため? 「寝たきり」を防止するだけじゃない。「寝たきり」になった人々に対しても自分は何が出来るか、そして自分をいつもやってあげる側に自分を置いてるか、イヤ違うんだ。誰かのボランティアをいただく側の自分にもなるかもしれない。この役割が固定化ない、「元気バブル」と変わりない。元気なお年寄りという言葉が、元気でありたいけれど元気であれないお年寄りを傷つけることもあるんじゃないの?という問いかけをしつつ、どこまで私達は前に進めるか。そして前に進むということは何でも前のめりで走っていくことではなくて、シニアが増えることのすばらしさは前のめりではなくて、ゆっくり行くことをもう一度私達は考えられるということではないでしょうか。その速度は時には子ども達の速度と同じです。階段の歩幅の問題、格差の問題から始まっている。そういった見方をしていかないと、何だ、違う社会をつくろう、違うネットワークをつくろうと言いながら、「現状維持のためのボランティアになってします。そしてそこに、もしかしたら地域創造ネットワーク・ジャパンが新しい形、色々なものが集まって皆が手を挙げる大きな気流になって行くのではないかと思います。
取りこぼししません、見切り発車しません、人権に対してセンシティブです。というようなある種のセンシティブな部分。それを脇に置いてネットワークを組むようになってしまった時、今まで光の当たるところから遠ざけられてきた人達は、やっぱりまたここでも遠ざけられてしまうという悲しいことはもうしたくない、という思いが私の中はとても強くあります。
例えば、特養。これは読者からのお手紙です。申し込みをしました。175番目ですと言われました。85歳の私が入るまでに174人の方が早く死んでくれることを私は祈らなければならないのですが、こんな人生ごめんです、という声に私達はどう応えられるか。色々な方のお手紙を読んでいると暗澹たる思いがしてしまうんですね。だからこそ可能な限り最も小さな声に対して私達は何が出来るのか、同時に自分も誰かの小さな助けを必要とする側になるということを置いて、考えて行きたいなという思いがとても強くありますね。
どうしても元気な時というのは、元気でない状況を生きる方の辛さや、或いはちょっとした言葉でも傷ついてしまう思い、それを乗り越えられなかったら強くなれないよ、というんだったら私は強くならなくていいと思います。強くなれ、早く行け、大きくなれ、より多くを持てという社会の歪が今ここに表れているならば、新しい福祉はそこからスタートしちゃ。違う形で生きていかなきゃいけない。最も小さく最も弱い声にそれぞれがどれだけ立ち止まることが出来るのか、一緒に手をつなぐことが出来るのか、それがとても大切なのではないかなと思っています。
そしてそれを片側(片一方の肩)貸し合いネットワークとずっと呼んできました。両肩差し出しておんぶをしてしまったら99歩目に絶対に共倒れになる。これは私の体験でもそうです。だったら片一方の肩を貸し合っていこう。そしてもう一方は憤りではないけれどおかしいと思ったらおかしいよって手を挙げたって良いわけだし。そういう形のネットワークをつくることが出来たらどんなにいいかな、という気がして仕方がありません。
以前取材でデンマークの高齢者委員会のメンバーにお目にかかりました。日本で言うと区にあたると思えるところから、十数人いわゆる60歳以上の方々が手を挙げて委員になる。この人達を選ぶのも60歳以上の有権者なんですね。この人達が私達の思い、特に福祉の充実について何をやってくれるのかということを問いかけるシステムでした。そういったことも私達はやっていいかもしれない。或いは、これはもう日本で取り入れておられるところがあるかと思います。例えば車椅子一つでもドーンと大きい車椅子が置いてあって、黄色いこんな太いタイヤがついている。日本の通常言うところの車椅子を見慣れた私は、何なんだ、あれは? と思いました。
すると係の人が笑って紹介してくださいました。「あのね、車椅子というのは通常は道を走ったり、家の中で使ったりするものです。でもね、砂浜だって走りたいでしょ?」身体の自由にきかなくなったら海辺に行っちゃ行けないって誰が決めたの? 海辺で深呼吸をする楽しみも保障してこそ初めて福祉じゃありませんか。その上この黄色いタイヤの車椅子がそのまま海に入るとボートになると聞いちゃうと、あまりの現実の差に私はびっくりする。多くの場合、楽しみまでいけませんもん。日々生きていることだけで精一杯ですよ、誰かのお力を必要としている人はこの社会では。それをどこまで人間としての楽しみまでアップすることが出来るのか。これもまた、私達に問われている大きなテーマではないかなと思っています。
心から地域創造ネットワーク・ジャパンの動きに私自身は頷きながらですが、そして小さな小さな重箱の隅のことを言っているような気がしますが、私達の社会は言葉で成立している事も事実なんです。そして言葉で傷ついてきた大勢の方々がいることも事実だとするならば、やっぱりそういうところも大切にしたいな、という気がしています。以上です。
はい、シーンと最後に聞き入ってしまいました。本当に私達、改めて地域創造ネットワーク・ジャパンをつくる意味と言うものを1人の人間として再確認できたという風に思っています。実は落合さんは18時05分に会場を出なければならないのですが。
落合さんのお話は人間観の問題だという気もしますけれども。人間は出来ることで勝負するんですね、出来ないことで勝負するのではなくて。さっきの話の中でも言ったんですけれども、私の障害福祉の原点は、身体障害者でも知的障害者でもなく、重症心身障害児なんですね。何にも出来ないと思われている子どもたち。実際私もそこへ行って固まってしまいました。それは厚生省に入った22歳の時だったんですね。それが私の原点です。この人達は何のために生きているんだろう? と自問自答をしました。それから15年経ってから、答が出ました。イヤ、この人達はやっぱり生きている意味があるんだと。
というのは「出来ないこと」という風についつい言っちゃいますけれども、やっぱり出来ることもある。さっき言った「朋」のあの人達ですね、パン屋で働いているんですよ。喫茶店のレジをやっているんですよ。いるだけなんです。だけどそれで、出来ることで勝負している。今、落合さんがシニアと言ったって、元気シニアだけを言っているんじゃないですかと疑問を投げかけられました。確かにそういう疑問は当然で、寝たきりの人も認知症の人も誇りを持っていて、すばらしいところがあると思うんですね。優しさというのはやっぱりあるし、そういうような心でそうでない人が教えられる部分がある。そこでやっぱり勝負しているのではないかなと思います。それは別の言葉で言うと誇りということなんですね。何も出来ないと思われている人にも誇りというのがある、それは出来ることで勝負しているからじゃないかと思います。
又ちょっと違うところで言うと、秋田の小学校の事件はまだ犯人が捕まっていませんが、今までの事例の中で結構ああいう犯罪は、加害者の方が田園地帯の地域の中で発生していることが多いということにお気づきになりませんか? もちろん大都市でもありますけれども、大都市ではもうちょっと直接的に金目当てとか、そういうことなんですけれども。田園地帯で、えーっこういうことがあるの?、ということが起きたりしています。仮説かもしれませんが、ああいう所での孤独というのはどうしようもないんだと思うんですね。大都会での孤独という以上に。だって皆結構、家族とかで雰囲気的には固まって生きていますよね。そこで疎外されたら、どうしようもない。行くところもないし。
そういう部分で事件が起きているという時に、地域創造ネットワーク・ジャパンも今仮に例を出した理由は、都市での活動が主であると考えているのかもしれませんが(今、霞が関ビルで設立記念のつどいをやっているのですから)、意識的に地域の田園地帯とか過疎とか山村とか、そういうところで何が出来るかということも考えなければならない。でも地域も誇りがあるんだ、スペシャルだという誇りということが地域にとって重要なので、それも直接の主旨ではないかもしれませんが、活動に活かしていく。
あともう1点だけ、シニアシニアと言うけれども若者の問題があるわけですよ。それで3000万円しかないという風に豪語していて私もそれに乗っかってしまいましたが、やっぱりそれは恥ずかしいことかもしれません。というのはあそこで働いてもらう若者もいるじゃないですか。是非こういうような活動のことも大切にしなければならない。NPOというのは金がなくて当たり前というということを威張っちゃいけないという気がするんですね。シニアはいいですよ、もう。だけど、若い人で志があって・・・と言う人がNPOで働くということが出来るようにならなくてはいけない、企業として成り立たなければいけませんよね。(ホリエモンのようにとまでは言いませんが)そこそこ以上の収入が持てるという風にしなければならない。
それから(大企業の重要なポストと同じようにはいきませんが)もう一つ大事な事は、NPOでやっているということが社会的にも次のステップへの非常に大きな財産になるという、つまり大会社で採用する時に有利になるような(それは我々が頑張らなくてはいけないけれども)若い人のためにも社会に認められるNPOにしたい。いいじゃないですか、階段として使ってもらっても。シニアの問題だけれども、シニアだけでは成り立たない活動ですので、そういうことも考えるわけです。
そうすると金の問題というのがあって、次の問題としてこれは地域創造ネットワーク・ジャパンだけの問題ではないのですが、NPO全体として政府と競争しなければならない。よく言われるように官と民、その間にパブリックと言う活動があって、我々がやろうとしているのはパブリックですけれども。パブリックというのは今まで行政の独占だと思われていたけれども、「何言っているんだよ、そんなことはないよ。」と言っているのがNPOの活動ですよね。いいんです、行政もパブリックのことをやっていいんですけれども、競い合うということがあってもいいんじゃないかと思います。
アメリカのようにお金を税金として納めるか、NPOに寄付として納めるかという要するに寄付控除の問題です。寄付控除をやると、税務当局は絶対に嫌がりますけどね。だってNPOに寄付をしたらその分税金の入ってくる額が減りますから。することによって行政はものすごく頑張りますから、少ない金でも効率を上げる。そうすると税金が減ったっていい。というようなことで、この活動を「金」ということでお金の使い方・使われ方ということをやるきっかけにもしたいな、言っちゃったから大変だな、という風に思っています。
ありがとうございました。代表からはとても頼もしいお言葉をいただきました。専務理事はニコニコしていらっしゃいますけれども。
いまおっしゃった「お金」は、本当に私もそう思います。その上でもう1回言わせてください。シニアの果たす役割その1は、シニアとしてそこにいるということです。その上で何が出来るか。そこにいて下さると言うことに対する、ありがとうというものが(ちょっと哲学的・倫理的になって嫌なんですが)まず、核じゃないですか。そうしないとシニアもまた階級付けをされますよ。シニアもまた、優劣をつけられますよ。優劣をつけられる社会に対してウンザリと思ってきた、勝ち組負け組と言う言葉に自分は登録しないと思ってきた人であるならば、もうそれ止めようよ・・・という気持ちも私の中には沢山ありますが、そこもご理解いただけると嬉しいなと思いますが。以上です。言いたいことを全部言っちゃったので、帰ります。
ありがとうございました。拍手でお見送りください。それでは会場の中にも今日は様々な立場でいらしている方がいらっしゃると思いますが、どなたか発言・質問・感想などございますでしょうか。
今日は本当におめでとうございます。日本晴れで、こういう団体が出来るのを待っておりました。私は「お父さんお帰りなさいパーティー」推進センターをやっております。そして「お父さんお帰りなさい」というパーティーのイベントをあちこちで実際にやっています。講演に行った時に団塊の世代に呼びかけるのですが、団塊の世代の人達は10%くらいしか参加してくれません。何がいいたいかと言いますと、団塊の世代以上の年代、この方を大事にしていただきたい。敗戦後のどん底を、何も食べるものもなかったそういう時代を生き抜いてきたこの人達が今何かをやりたいと一生懸命考えています。パーティーには大体200人くらい集まります。ちょっと集まりすぎて困るというくらい、ニーズがあります。
今日の呼びかけを見ていても、団塊シニアという表現が目立ちます。その奥に団塊世代以上の世代がいることを常に頭に入れてやっていただきたい。やきもちを焼くわけではないのですが。今日も30人くらい理事の方が並ばれましたが、あの中で女性の5人の方は団塊世代以下でございますので、その方を除くと多分3人か4人くらいしか多分団塊の世代の方はいらっしゃらなかったと思います。そういうことで団塊の世代以上の人達が本当に何かをしたいと思っている。ですから、言い方・発言に気をつけながら活動を進めていただければ、団塊の世代以上の方々が気持ちよく参加していけると思います。
それともう一つ、コーディネート力というのがどうしても大事になってきますので、106団体ですか、それぞれにとてもすばらしいコーディネート力を育ててそれを地域の中にばら撒いていくような会になっていただきたいと思います。以上です
ありがとうございました。待っていた通りのようなご意見を頂きましたが。団塊の世代という言葉を使っていますが、当初から私は団塊の世代より前の、若い世代の問題もありますねという話をしましたが。40歳代の方でどなたか、今日の発足を祝ってどなたか意見を述べてくださる方がいらっしゃいますか。
神奈川でNPOの介護事業を立ち上げます、ウェルエイジの今瀬ともうします。今日は大変参考になりました。この地域創造ネットワーク・ジャパンが今後どう言う形で進められるのかということは40歳代としては気になるところです。それで団塊の世代だけの問題ではないと思いますし、団塊の世代の方たちと10年後我々も同じ道を歩む。自分たちがどういう生き様になるのか。我々40歳代は常に団塊の世代の方達に翻弄されてきました。バブルの時に団塊の世代の方達はいい思いをされているのに我々はまだ下っ端で走り回る。或いはバブルが終わった後の清算の時期、我々は後始末に終われました。そんな中で団塊の世代の活動が我々40歳代、30歳代の生活に大きく関わってくるのではないかと思います。
団塊の世代の人に先頭を走っていただいてもいいのですが、やはり40歳代、30歳代がそれに参加し、共鳴してついていけるような幅広いテーマを持って欲しい。団塊だけの問題ではなくて、先程の方のご発言の中にも団塊以上の世代の方についてということもありましたから、世代を超えた人達が関われるような幅広いテーマで(例えば環境問題)この社会をいい方向に。
決して団塊の世代だけが目的じゃなくて本当に地域を支えあう資源が今復活しているなと、福祉の事業に携わっていて思います。その辺のところを考えていただければと思います。もう一つ危惧するのは、連合さんとか労組とか大きな組織が主体で動いているのですが、地域を変えていくのはやはり小さな組織の連合であるべきで地方集権的な組織が出てくるのが若干危惧するところがありますが、その辺の所の方針をお話ししていただければ、と思います。そんな2点でまとめていただければと思います。
はい、ありがとうございます。今の方のご意見には後ほど笹森さんにお答えいただければと思います。もう一つ発言をお願いしたいのが、今まで企業の中で働いてきた人、塀の中という表現がありましたけれども、その人達が地域に戻る或いはやっと参加できるという時に地域で動いていた人に対しての受け皿となるものとして、ワーカーズ・コレクティブや生活協同組合というのがあると思います。今日は生活協同組合やワーカーズ・コレクティブの声が聞けていませんので、ご指名で悪いのですが生協総研の藤岡専務がいらっしゃっていますので、協同組合として地域創造ネットワーク・ジャパンに一言お願いいたします。藤岡さん、よろしくお願いいたします。
突然指名されてびっくりしていますが、先程浅野さんの方から生協での福祉活動についてのご紹介もありましたが、今回の地域創造ネットワーク・ジャパンの発足ですね、日本生協連としても賛同して、組織として団体会員になるということでいうことでございます。先程来の講演なりパネルディスカッションを聞いて、多少注文を言わせてもらうと、今回のNPOが主たるアクターが労働組合とNPOとされているという風に感じました。もっと幅の広い、(先程浅野さんも言及されましたが)企業であるとか、一般の家庭の主婦であるとか、それから私ども生協なんかもですね、色々な広い幅で参加できる仕掛けや仕組みを是非ご工夫いただきたいと思います。
ただ実際上の力としては先程の記者からの質問にもあったように、拠点を一気に100箇所つくれるなどというのは、「やっぱり連合さんだな」と感じましたし、それは出来るだけ黒衣になれるようにやっていただければな、というのが感想です。よろしくお願いします。
どうもありがとうございました。そして専業主婦と言う言葉はあまり好きではありませんが、地域の中で先駆的に活動されてきたワーカーズ・コレクティブやNPOの方もいらしていると思います。どなたか退職した団塊の世代の男性を、「あんなにわがままな人をうけいれられるのかしら?」と思っている方もいらっしゃるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
今回理事として参加させていただくことになりました。仙台でNPO支援をしている杜の伝言板ゆるるというNPO法人です。私どもは正しく団塊の世代がリタイアした後、NPOで活躍していただきたいという思いで、昨年の秋からキャリアボランティアの要請講座というのを始めました。そして今、3クルー目の講座を始めているところです。やはり入口を講座から入るのは難しいということで、バスツアーをやってNPO訪問をやっています。昨年第一回目をやった時に、リタイアされたばかりの方が参加して入口がすぐに見つかったということで、その後すぐに活動に参加されました。
やはりその方がおっしゃるには、現場に行きたいんだけれどもどういう風にして行ったらいいのかわからないこととか、NPOはどんな活動をしていてどんなことを求めているのかがわからないとか、そういった情報の伝達の悪さが一歩を踏み出す障害になっていると感じて、私達はそれをやってきています。そしてここで感じるのが実は、今まだ現役の方々に情報を届けるのが非常に難しいという現実にぶつかっています。皆さん参加されるのは常に65歳を過ぎたリタイアされた方が参加されているんですね。そうするとその方々は時間があるのが、日中です。そして私達が狙いどころの50歳代の方々が参加してもらいたいと思う時間帯というのは、やはり仕事帰り。夜とか土・日を考えるんですが、そこに時間を割く50歳代の方々はまだまだ非常に少ない。これが現実です。
NPOとしてこのネットワークに参加した大きな理由の一つは、今働いている方々に情報が届くネットワークに参加できるのではないかな、という思いで参加しております。ですので労働組合の方々はもちろんそうですが、企業を是非巻巻き込んでいきたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。はい、どうぞ。
新宿でシニアベンチャーに取り組んでいる者です。ただいま仰った意見と関連しておりますので、言わせていただきます。現在私は70歳ですが、まだ70歳という気持ちです。新宿で色々提案をしたり、話をしたりしますとどうしてこのようなアイディアが今まで活かされなかったんだろうと。私自身も政府に意見書を出しましたら、内閣府からですね、日本に唯一あるのは人的資源だと。高齢者であろうと年配者であろうと、退職なさった人もですね、政府の立場は人的資源をいかに有効に使うかという、その視点で物事を考えてくれ、年のことをあまり言うなということで返事が来ました。
先程私は、トップを極めた人達だなと思って勉強になりました。浅野さん、落合さん、笹森さん、ヘロンさんは国際的に活動をしていらっしゃるわけですね。新宿には約3万の外国人の方がいらっしゃるわけです。100カ国あまりの人が新宿にはいらっしゃるわけですね。それでたまに私が皆さんと会うと、非常に多様な価値観ですね。非常に珍しい多様な価値観をもっていらっしゃるということでお褒めをいただいたりするんですけれども。
田中尚輝さんは私に色々アプローチしてくださるんですけれども、非常に前へ前へ早くいかれるので、私は付いていけないわけです。どうぞそういう意味で人的資源と言う立場でご検討をいただいて、私は先程言いましたようにシニアベンチャーで、非営利ではなく営利ですから、その辺の整合性をどう持って行けばいいかということをお聞きしながら考えているわけですが、その辺をご配慮いただきたいと思います。以上です。ありがとうございました。
ありがとうございました。はい、じゃあ1分で。
NPO観光立国と申しまして、小泉さんの先走りをしているような形なんですけれども、家族の絆、三世代家族旅行と言うことでそれを実現するための啓発運動をやらせていただいております。そういう点から全国的なネットワークをつくりたいと思っていたところにこういうお話をお聞きしたものですから、是非ということで参加させていただきました。今日は本当にいい勉強になりました。その中で一つ、団塊の世代というとほぼ男性ばかりをイメージしてしまうんです。
これから正に我々男性が団塊の世代として社会のためにこういうことをやりたいという時に、奥様方をどれだけ巻き込んでいくかということが1番まずやるべきことなんじゃないかと感じたんで、そこら辺を是非ご検討いただきたいと感じております。それからヘロン先生が仰った地域通貨、これはものすごく色々な形で展開できると思います。我々観光立国も観光に関して三世代で子ども達が地域通貨を使って、お互いやり取りをして溜めて、三世代の家族旅行をするという、これが今の社会悪の根本になるのではないかと思います。
ありがとうございます。間違っても団塊世代の男性のために私個人の大切な時間を費やすという女達はもういないだろうと。男女の問題ではなく、1人の人間としてということ。先程落合さんが仰ったように、年齢でもなく男女でもなくというテーマがたった3000万円の予算の中で期待が大きいと思っていますが、そういう視点で進めて行きたいと思っています。では残された時間はわずかになりましたが、笹森さん、ヘロンさん、浅野さんは最後のまとめをお願いします。
最終的に浅野代表の方でお話をまとめていただけると思うので、先程6人の方からお話が出ました。私の方から関係する部分を含めてちょっと申し上げたいと思います。まず皆そうだろうと思いますが、タイトルは団塊の世代という風に集中してしまいましたが、今ホットな状況だから出したんだけれども、これからの日本の少子高齢社会の中で高齢者の数が増えてくる。これに対してどういう社会をつくり直すの? 言ってみれば、パラダイム転換ですよね。このパラダイム転換について働き方、暮らし方、生き方を20世紀型から21世紀型に取り替えられるかどうか、丁度入ってまだ6年目ですからまだ間に合うよと。だから団塊の世代という一つのエポックを中心にしながらつくり変えに入ってみようと。その中で何をやるかということです。
これはですね、世の中を支えるトライアングル、政治(政治には行政も入りますが)・経営・労働この3つなんですね。政治家とか経営者とか労働者、トライアングルだから一つのグループですね。これの中で色々な役割の仕方があるんだけれども、1番は浅野さんが言われたポイントの中で、官と民の間の公という、パブリックの部分です。そこの中では何かと言うと、自助・公助・共助という言葉を良く使うんだけれども、公助は完全におぼつかなくなってきているんですね。構造が変わっちゃったから。じゃあ自助はどうかというと、もう限界を超えているんです。そこで何があるかというと、共助なんです。
共助とは何かというと共に助けると書くんだけれども、助け合い+譲り合いなんですよ。ここに同世代も世代間も男性女性も色々なことを含め、色々なことが入ってくる。譲り合いというのをどう考えるのかな、ということを含めたこれからのネットワークの創り方という部分に入ってくるはずです。これは当然年老いた方も若い人も、男性も女性も入ってくる。その中でミックスして考えなきゃいけないことがある。高齢者が増える、高齢者の活用をどうするんですか? それから女性の話が出たけれども、女性と男性が逆転したのは大正時代です。これまでは男性の方が数が多かったんです。でも殆どイーブンですね。だからどの年代でも男性と女性はやや半々なんですよ。この女性が仕事という面から見たら今までどう活用されてきたのかと。それが殆ど家庭だったというところに対して、仕事と家庭と地域生活を三律出来るようなこれからの男女の共生社会ということを考えた場合の役割の与え方というのが出てくる。
それからもう一つは、色々な団体をどういう風にコーディネートし、コントロールしていくのかということなんですが、生協の藤岡さんから言われたもんですからね。私が今所属している労働福祉協議会というのは極めて稀有な団体でして、1950年に出来たんです。だからもう55年の歴史があります。どういう人達がやっているかというと、生協の方々と、労働団体と、これに最近ではNPOを加える。だからワーカーズ・コレクティブも最近労福協には加盟をしてきている。
そこでいうとここに副代表として入らせてもらったのは、連合会長の笹森とか現会長の高木が入るんじゃないんです。労働組合というのは企業の中の労使関係の中でどちらかと言うと今まで隔絶された社会なんですね。労働組合という塀の中の懲りない面面できた部分が、今批判を受けている部分があるわけだから。このところをもっと違う、壁を取っ払った形でどうやるかと言うことになるとあくまでも、この組合が持っているノウハウ、資金力、そして今までのネットワークをどう提供できるかということで、ご指摘の通り、主役になるつもりは多分連合は全くありません。あくまでもサポート体制でお手伝いがどう出来るかということだろうと思います。
それから年のことを言うなということですが、年をどう考えるかというと、老人という言葉を使って社会保障を決めたのはドイツのビスマルクなんですよ。これは65歳以上厚生年金を適用させるというのが最初のスタートなんです。そして世界的に65歳以上を老人として広めたのがボーボワールです。フランスの詩人ですね。この方が65歳以上は老人社会と言ったことが世界に広まった。だけどそこで老人というのが何なのか、肉体年齢なのか、精神年齢なのかということを言うとバラバラになりますから、ここの部分の中では自分がある部分提供できる、そして落合さんが先程言われたように提供される側、この入れ替わりの中でその都度その都度自分がどちらの立場になったら効果的かということを考えて行けばいいので、自らが老人として取り込むというようなことをする必要はないだろうと思います。その後どうするかということは、このネットワークが考えていくことという風になってくると思います。
私自身は、NPO事業サポートセンターが今回のメンバーに入っていますが、これが約5年前だったと思うんですが、立ち上げました。NPOの税制をつくり、NPOが増えていった時に色々な活動をサポートするということをやろうということで、後でお見えになりますが、さわやか福祉財団の堀田力さんと金八先生の脚本を書いておられる小山内美江子さんと当時連合事務局長だった私が代表世話人になってつくり上げた組織なんです。これを今のような状況になってくることを見越した中でNPOをどう作っていくかということなんですが、福祉元年だとかボランティア元年だとかNPO元年だとか色々なことが言われているけれど、日本はまだ特にまだNPOとかボランティアは敷居が高いですね。これを本当に自らの動きとしてシニア時代に向かって、どうつくり変えていくことが出来るのかなということが今日集まった60団体、300人が本当に拠点になっていろいろな動き方をすれば、素晴らしい地域の共生と協働が図れるのではないかという風に考えます。
ありがとうございました。時間があまりないのですが、さっきのWin-Win 関係をもうちょっと詳しく言いたいと思います。地域や団体をネットワークをする場合には、やはり1人1人の得にならないといけないと思うんですね。じゃあ私は何をすればいいの? どんな得になるの? ということを皆さん考えていらっしゃると思うんです。それはですね、ただ、市場経済で考える、どれくらいお金が入ってくるのかとか、どれくらい利益が上がるのかとかではなく、非市場経済で考えた、それは、コミュニティの再構築、住民の幸せなどを基準にしたものですが、その上でのWin -Win 関係を地域創造ネットワーク・ジャパンと共に、皆さんしっかりと考えないと駄目だと思います。そのためにはさっきから連合とNPOとの協働の話も出ていますが、100箇所拠点があるんだったらそれを利用させてもらったらどうでしょうか? それで連合が表に出ない、黒衣になるという部分をしっかりと黒衣になってもらって、私たちをサポートしていただく。それ位士気が強くないと、こういったネットワークは継続しません。ただ、連合にとっても結果的には、NPOとの連携で、きっと、Win-Win関係が生まれると思います。 そしてもう一つは、決して市場経済ではない、非市場での、例えば、近所づきあい、核家族の見直し、子育てなどを含んでいて、地域社会の中心になっている、コア経済をこれから育んでいくんだということをしっかりと頭に置きながら皆で盛り上げていく、その気持ちと理念が必要ではないかなと思います。皆さん1人ひとりが積極的に、自分たちの団体、コミュニテイにとって得になることを考え、それを事業に創り上げる。企業は自分たちの得にならないと乗ってきません。その時に、これは市場経済ではなく、コア経済で得になるんですということを積極的に物申すくらいの力がないと、広がりはないと私は思っています。
ありがとうございました。ではマイクを浅野さんにお渡し下さい。
300人いらっしゃると聞いて、ちょっとビックリしたんですけれども、しかも最後まで熱心に聞いていただきまして、設立総会のこういう場としては、大変うれしく思っています。最後の方のご発言で今日は女性が殆どの方が団塊世代だと今になって言うので、へーっと思ったんですが。やっぱりその気にならなくちゃいけない。吉永さんからお話があったように、団塊の世代、団塊の世代と書いてあっておかしいじゃないかということでした。
この話もよく考えると変な話で、団塊の世代だけに温泉旅行をプレゼントしますという話じゃないですよね。今言われているのは、「働け」ということですから。その「働く」ということを団塊の世代だけにやらせてたまるかということで、呼び水効果があって良かったということですね。「働く」ということは、そんなにいいことじゃないですよ、別に。得することじゃないですよ、普通は。だけどそれを俺にもやらせろということで、この設立総会は大成功だったという風に代表としては思っています。
今のヘロンさんからのお話で、「連合はしっかりと黒衣になれ」というお話でしたが、しっかりと黒衣になれというのは、日本語はどういう意味なんですか? 黒衣になれということは、目立つなということなんですよ。しっかりと黒衣になれというのは・・・連合というのは今日も何回かそういうお話がありますけれども、固有名詞としての連合ではなくて、普通名詞としての連合があちこちに出来るといいなと思います。最後ちょっと格好よくまとめたな、と自分で思っているわけです。
皆本当にwin-winになりましょう。皆いい気持ちになって、この活動では負ける人がいない、勝ち組負け組なんて本当に下品な言い方だと落合さんが仰っていたけれども、本当にそう思います。皆win-winという風になる活動という無限の可能性はある、その中には失敗する可能性もある、ということも代表としては自覚しながらしっかりと黒衣じゃなくて、代表をやらせていただきたいと思います。皆さんのお力もお借りしたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
長時間、どうもありがとうございました。これでシンポジウムを閉じさせていただきます。この団体はNPO法人を取得する予定で、しかも地域創造のネットワークです。どこにも団体とか営利とかいうことが入っていないことを、改めてこの会場の皆さんと確認してシンポジウムを終わりたいと思います。どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。皆さん浅野代表、笹森、落合、小川副代表の意見を皆さんに聞いていただきました。又、ヘロン久保田さんのタイムダラー・地域通貨のお話が会場の皆さんに共感を呼んだということが私のほうもやっていますので、すごく嬉しかったです。パネラーの皆さんと何よりも小川さんのリードで、地域創造ネットワーク・ジャパンに対する活発な意見が出てきました。そこでパネラーに対するお礼ではなくて、それとプラス会場に対する皆さんへのお礼を兼ねて、全員で拍手して終わりたいと思います。(終)
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